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2021年3月11日 (木)

震災10年の教訓 非常時対応も定数算定に

 東日本大震災から10年を、新型コロナウイルス感染症の終息さえ見えない中で迎えた。この10年間は、極めて象徴的な時期だったように思える。

 10年前のあの日、過去に阪神・淡路大震災を経験していたとはいえ、1000年に一度の出来事だという衝撃があった。しかしこの間、熊本地震、九州北部豪雨、大阪北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震など、局地的とはいえ日本列島どこにいても自然災害から逃れられないことが浮き彫りとなった。

 極めつけは、昨年初旬からのコロナ禍だ。日本どころか世界が災禍を突き付けられた。学校も例外ではない。

 「当たり前のように存在していた学校に通えない状況が続いた中で、子供たちや各家庭の日常において学校がどれだけ大きな存在であったのかということが、改めて浮き彫りになった」――。今年1月の中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」の、コロナ禍を踏まえた一節である。この10年間、 東日本の被災地をはじめ各地で痛感されたことでもあろう。

 答申は、さらに続ける。「学校は、学習機会と学力を保障するという役割のみならず、全人的な発達・成長を保障する役割や、人と安全・安心につながることができる居場所・セーフティネットとして身体的、精神的な健康を保障するという福祉的な役割をも担っていることが再認識された」。これも、10年前から分かっていたことだ。

 しかるに、学校をめぐる状況はどうなったか。文部科学省の2016年度教員勤務実態調査では、小学校で3割、中学校で6割の教員が過労死ラインを超えて働く「ブラック職場」化していることが裏付けられた。これは、必ずしも震災対応のせいではない。むしろ被災地以外では、震災を想定した避難訓練さえ薄れがちになっている。

 むしろ全国どこでも、災禍を想定した「余白」を織り込んでおくべきだろう。カリキュラムもそうだが、教職員定数はむしろ現状で足りなくなっていると認識すべきだ。

 21年度予算案で、やっと小学校の35人学級化が盛り込まれた。成果であることに間違いはないが、10年前ならいざ知らず、今となって実現しても遅すぎる。しかも中学校は先送りとなり、高校は展望すら描けていない。

 あす開かれる第11期初の中教審総会では、「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について」が諮問されるという。その意義は否定しないが、これ以上の労働強化となっては困る。何より第10期中教審は「学校の働き方改革」答申(19年1月)の延長戦で初等中等教育の在り方を検討してきたはずなのに、コロナ禍と、棚ぼたのような形で実現した1人1台や35人学級がなかったら「日本型学校教育」を顧みることさえなかったろう。

 教員の資質能力向上を言うなら、自主研修を含めた研修機会の保障が不可欠だ。あらかじめ職務専念義務免除の時間を織り込むことで、非常時への備えにもなろう。さらなる大幅な定数改善が必要であることは、言うまでもない。人材確保策に関しては、諮問が出たら改めて論じよう。

 10年前の被災地では、自らも被災しながら公務員の一人として避難所となった学校で地域住民の対応に追われながら、子どもの安全確認と学校再開に奔走した教職員の姿を忘れてはならない。そもそもコロナ禍で、勤務時間だけでは測れない苦労を教職員は強いられている。それに見合った条件整備をすることは、教職員の心身の健康はもとより、学校教育の質に直結する。そうした意義を、この10年の教訓として改めて確認したい。


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