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2021年4月 1日 (木)

1人1台端末 「文房具」と言うのなら

 今日は新年度の始まりであるとともに、エイプリルフールである。いつも以上に馬鹿な主張も許されたい。

 今年度は、GIGAスクール構想の前倒しによる「1人1元年」となる。同構想をめぐっては、学校現場のみならず世間にも不安が広がっているようだ。

 急速な整備への戸惑いは仕方ないが、そもそも3クラスに1クラス程度の1人1台環境はもっと早く実現してもよかったはずだ。これからの時代を考えれば、情報端末を普段使いすることは避けられない。学校でも同様だ。大いに推進すべきである。

 ところで同構想を契機に文部科学省は、ICT(情報通信技術)を「文房具」だという言い方をするようになった。これは文科省の意図を超えて、示唆的な表現であるように思う。

 考えてもみてほしい。鉛筆や定規に「文房具指導員」が要るだろうか。近年では板書の仕方を指導する教職課程は少なくないが、現場の教師にチョークと黒板消しの指導や活用支援が必要だろうか。

 そもそもコンピューター自体が、ユーザー第一の発想で作られているのか。しかも日本ではインターフェースだのダウンロードだの、カタカナ語のオンパレードである。デジタル社会を進めるには高齢者にも使ってもらう必要があるが、そもそも使い方を教わらなければ使えないようなものを「文房具」とは呼べない。

 せめて子どもが使う端末は徹頭徹尾、安全性と操作性を担保してもらいたい。それは教員や指導員に委ねるのではなく本来、製造者責任だろう。使いにくいものを平然と売り込み、ブラックボックス化してきたのは他ならぬメーカーやサービス提供者ではなかったか。

 ところでGIGAスクール構想の実現や前倒しには、経済産業省の力もあった。同省は「未来の教室」事業を進め、民間事業者が開発した教材を学校に普及させることを目指している。結構なことだ。学校に役立つ教材開発は、いくらでもやってほしい。ただし、それで学校教育を変革しようなどというのは本末転倒だ。あくまでも学校教育が今以上にやりやすくなるため、やりたい教育を進めやすくするための教材開発であるべきである。

 「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という言葉に代表されるように、ICTやデジタル化をめぐっては大言壮語がまん延している。ICTを使いこなす時代になっていること、そのためのリテラシーが必要なことは疑いがない。しかし、そのための負担をユーザー側に負わせる業界の体質と発想はいかがなものか。ましてや子どもや教員に負担を掛けて平然としていることに、疑問を持つべきだろう。

 本気でICTを文房具にしようとするなら、教員が誰にも教わらずセッティングにも苦労しないような機器であるべきである。そうでないのなら、機器の側に問題がある。もちろん学校教育の問題にとどまらない。ユニバーサルデザインを求めることこそが、社会変革ではないか……といい加減な大言壮語で締めくくるのも、4月馬鹿とお読み飛ばしいただきたい。
 

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