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2021年6月30日 (水)

授業時数特例 改訂時に緩和すべきだった

 文部科学省が28日、「授業時数特例校制度」を創設することを明らかにした。教科ごとに1割を上限として下回ることを認め、他の教科等に上乗せできるという。

 その理由を同省は、総授業時数は引き続き確保した上で、教科横断的な視点に立った資質・能力の育成や探究学習の充実に資するよう、カリキュラム・マネジメント(カリマネ)にかかる学校裁量の幅の拡大の一環として、弾力化した教育課程編成を認めるという。

 新学習指導要領の趣旨に照らして、誠にもっともらしい。おそらく中堅以下の教員は、誰も疑問を持たないだろう。しかし、ベテラン層は思い出してほしい。標準授業時数が本当に「標準」だった昔を。結果的に1割ほど下回ったとしても、誰も問題にしなかった。

 もちろん、そんな時代が総じて理想的だったと言うつもりはない。落ちこぼれは放置され、「お客さん」という嫌な隠語も日常的に使われていた。まだ発達障害という言葉も一般的に知られていなかった時代である。

 「ゆとり教育」批判に抗し切れなかった文科省は2001年に突然、学習指導要領を「最低基準」だと言い出した(現在は「基準性の一層の明確化」)。そこで求められたのが、「標準」時数の厳格な運用だ。当時、先進的な中学校を取材したが、教務部に相当な負担が掛かっていることが見受けられた。学力向上と評価基準策定と合わせて、あの頃から多忙化が深刻になったように思う。

 今回の指導要領改訂では、中央教育審議会で早々に「学習内容は削減しない」と宣言された。これも、ゆとり教育批判の再燃に先手を打った格好だった。しかし、それがかえって「コンテンツ(学習内容)ベースからコンピテンシー(資質・能力)ベースへの転換」をあいまいにしてしまった。学習内容の「習得」は維持されたまま、「何ができるようになるか」まで求められた。授業が過密化して当然だ。むしろ時数がもっとあっても足りない、というのが現場の実感だろう。

 カリキュラム・オーバーロードも懸念される中、時宜を得た制度だと受け止める向きもあるようだ。しかし肝心なのは、コンテンツの「扱い」の抜本的な見直しではないか。そもそも、ここまでコンテンツを厳密に示すナショナル・カリキュラムは諸外国にない。コンテンツの扱いも、真の意味で「標準」にすべきだった。大学入試改革が行き詰っているのも、やはりコンテンツ重視の体質が教育界のみならず世間一般に凝り固まっているからだろう。

 もう一つ嫌な感じがするのは、今回の制度化の発端が「履修主義と習得主義」論議から来ていることだ。これは表向き初等中等教育改革の審議過程で出てきた話だが(1月に答申)、源流は「個別最適化学習」で授業時数は弾力化すべきだという経済産業省「未来の教室」の攻勢だ。これに対抗し、差別化を図りたいという文科省の思いも分からないではない。

 しかし先に指摘したように、文科省自身が標準時数をめぐって方針転換した矛盾に矛盾を重ねた果ての制度化だと言わざるを得ない。働き方改革もそうだが、いま必要なのは現場の裁量拡大だ。お上に申請して特例を認めてもらう、上意下達の体質を強化することではない。

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