続・定数改善 「計画」が不可欠だ
【「大改革」議論の初年に⑤】
氏岡真弓・朝日新聞編集委員の近著『先生が足りない』(岩波書店)は実質150㌻で一気に読め、しかも長期間にわたる綿密な取材の蓄積による中身は濃い。「筆者の失敗日記」を追体験しながら、問題の本質を徐々に理解できる好著だ。
読後に改めて痛感したのは、やはり国による教職員定数改善計画が不可欠だということだ。
本社も過去の取材を思い出す。かつて計画策定が当然視されていた時代、関係者が口をそろえて「安定的な採用のためには、国による計画が不可欠だ」と言っていた。そんな定数改善計画は05年度の義務制第7次計画が完成して以降、策定されていない。それが現在の教員不足につながったことは、拙著『学習指導要領「次期改訂」をどうする』(ジダイ社)でも指摘した。
義務教育費国庫負担制度に基づく国の負担率が2分の1から3分の1に引き下げられ、地方の自由度が「高まった」結果がこれだ。教育の充実の名の下、非正規教員なしには学校が持たない構造を生み出してしまった。背景には地方公務員全体の人件費削減があったことは疑いない。
この間、財務省も児童生徒減や学校統廃合の必要性を主張して定数改善をけん制し続けてきた。国も地方も、いかに予算を減らすかにしか関心がなかった。教育の充実は、学校現場の努力に任された。エビデンス(客観的な証拠)の名目で、学力の結果責任だけが問われた。その結果として起こったのが、過労死ラインを超えて働くのが常態化した学校現場の多忙化と教員不足だ。
ここでも単純に考えよう。カネをかけなければヒトは育たない、ということだ。
現行指導要領では、「学力」の概念を更に拡張した「資質・能力」の育成を前面に掲げている。日本でしか通用しない学力論から、世界的な潮流であるコンピテンシーへの転換だ。資質・能力を育成する「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング=AL)のためには、綿密な授業研究に基づく実践が不可欠になる。
しかし現在、その余裕が教師にあるだろうか。だとすれば十分に資質・能力を伸ばせなくとも、教師の責任ばかりとは言えないだろう。条件整備を怠ってきた「国」の責任であり、国=政府の中で文科省が力を持ちえなかった情勢を許容してきた、国民の責任でもある。
これから日本が世界に伍(ご)していこうと本気で思うのならば、抜本的な定数改善により正規教員を飛躍的に増やすことが求められよう。それにより狭い学力ではなく国内外でウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)を図るコンピテンシーの育成に注力する教育改革を、いっそう推進すべきだ。そうでなければ日本は、少子化の進展に伴ってますます衰退するばかりになろう。
↑ランキングに参加しています。奇特な方はクリックしていただけると、本社が喜びます
【自社広】
この本でCSTI政策パッケージと中教審特別部会のナゾがすべて分かる!
『学習指導要領「次期改訂」をどうする ―検証 教育課程改革―』
(ジダイ社、¥1870)、まさかの重版決定で好評発売中。

最近のコメント