改訂諮問の年に② 「資質・能力ファースト」の学校づくり目指せ
現行学習指導要領は、資質・能力(コンピテンシー)ベースにかじを切ったとされる。次期改訂では、いよいよ学習内容(コンテンツ)に切り込むことが不可避になる。これを機に、教育課程はもとより学校づくりの全般にわたって「資質・能力ファースト」を徹底すべきだ。
最近の流行の一つに「ルールメイキング(校則検討)」がある。経済産業省の「未来の教室」事業による提唱の影響が大きい。しかし行き過ぎた校則を児童生徒自身で見直すということ自体、古くて新しい課題である。
よくよく考えれば、校則は何のためにあるのか。伝統的には学校の教育活動の前提となる、校内や教室の秩序維持だろう。「特別権力関係論」が幅を利かせた時代もあった。しかし学校は徹頭徹尾、社会に出るための「資質・能力」を伸ばす場だと捉えるなら非主体的なルールに従うのが当然というヒドゥン(隠された)カリキュラムこそ排除しなければならない。共同体のルールをどう考え、どう対処するかも集団を通した貴重な学びの機会だ。ルールメイキングを特出しして独立した教育活動にすること自体が無駄だし、「〇〇(マルマル)教育」を一つ増やすだけになる。
資質・能力の育成に関係ないルールなど、それこそ校長の判断でさっさと廃止すればいい。服装だの持ち物だのも、一律のルールを設けるより個々人で判断して自己調整する力を育成することに注力すべきではないか。授業自体が面白ければ、スマホやゲームにうつつを抜かす暇もなくなろう。何より社会で認められている自由を、社会に出る力を培うべき学校で無条件に制限すべきでない。学校の教育活動は学習指導と生徒(生活)指導の両輪で成り立っているとされるが、そうした二元論さえ乗り越える必要があるのではないか。
理想論に過ぎるだろうか。あるいは「発達段階を考慮すべきだ」とか、「保護者や地域の存在も考えるべきだ」という反論が返ってこよう。しかし発達段階に応じて育成すべきなのが資質・能力だろうし、学校関係者も含めて子どもに社会で生きていく力を培うことこそ公教育の役割ではないか。
そうなれば当然、資質・能力の育成に関係ない、あるいは重複するような教育活動は大胆に整理・統合する必要がある。その前に、その学校ではどういう資質・能力を育成することを目指すのかを明確にし、そこから効果的な教育活動をマネジメントすべきだ。ましてや学校の働き方改革のために授業時数や行事を精選しようとすることなど、本末転倒と言うべきだろう。
個々の学校で育成すべき資質・能力も、シンプルにすべきではないか。参考になるのが、国際バカロレア(IB)だ。「IBの学習者像」は①探究する人②知識のある人③考える人④コミュニケーションができる人⑤信念をもつ人⑥心を開く人⑦思いやりのある人⑧挑戦する人⑨バランスのとれた人⑩振り返りができる人――という、とてもシンプルで指導者側にも学習者側にも徹底しやすい。何より、あらゆる教育活動に配分しやすい。教育活動全体で10の学習者像を育てられれば、それでよしという考え方でもある。
現行指導要領は、コンテンツをそのままにしてコンピテンシーベースに「転換」した。しかし、それがどれだけ現場に意識されているだろうか。資質・能力の三つの柱を教科一律に展開したことも、むしろ「コンピテンシー・オーバーロード」を招く結果となっていないか。
「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(天笠=奈須検討会)は、いまだに取りまとめの形らしい形を見せていない。しかし改訂スケジュールを考えると、3月に論点整理を行うことは動かないだろう。その時に出てきたものは、必ずや含意の多いもになるはずだ。その一言一句に注意して、現場としても今後の公教育と学校の在り方を主体的に考える契機とすべきだろう。そのモデルは、既に中教審の学校教育特別部会「義務教育の在り方ワーキンググループ」(奈須WG)中間まとめが示している。
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