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2024年4月

2024年4月27日 (土)

「教師確保」素案〈中〉 何の前進もない「働き方改革」

 中央教育審議会初等中等教育分科会「質の高い教師の確保特別部会」審議まとめ素案を巡る先の社説では、教員給与特別措置法(給特法)の扱いと「学校の働き方改革」が別問題であることを確認した。では、肝心の後者はどう扱われたのか。

 乱暴に一言で評すると、何の前進もない。当該章の表題が「 学校における働き方改革の更なる加速化」であることは、その象徴だ。

 2019年答申以来の働き方改革に関して、素案は「全体として見れば着実に進捗してきている」と自賛。具体的には、22年度勤務実態調査から推計される教諭の月当たり平均時間外在校等時間が小、中学校とも6年間で約3割減少したこと、有給休暇の年間平均取得日数も約2日増加したことをもって「教育委員会や学校の尽力の成果である」とした。

 しかし、その後すぐに 「一方、教育委員会や学校における取組状況の差がみられるという課題も残っており」「そもそも上限方針を定める教育委員会規則等が未整備である教育委員会もごく僅かであるが存在している」などと、まだまだ教育現場に改善の余地があるかのような説明を加えている。

 その後の長々とした指摘は、ほとんど今までの繰り返しだ。審議過程で委員から出た発言を反映したのかもしれないが、要するに新たな「改革」案に至らなかったことを意味しよう。

 会合では教師の一人当たり持ち授業時数を制限すべきだとの意見も、たびたび出されていた。素案では次章「学校の指導・運営体制の充実」で「持ち授業時数が多い場合にはその軽減が必要である」としながらも、小学校での教科担任制拡大の効果が持ち時数の減少に表れていると指摘。中学年でも推進する教職員定数改善の必要性を訴え、既定路線の追認にとどめた。

 それより問題なのは「持ち授業時数のみで教師の勤務負担を測ることは十分ではない」「校長等の管理職によるマネジメントの裁量を縛ることになる可能性も危惧される」と言い切ってしまったことだ。学級数に「乗ずる数」の引き上げによって持ち時数を減少させることにも、「必ずしも増加した教員定数が持ち授業時数の減少のために用いられない可能性がある」と言及した。本格的な定数改善の検討を待つべきだという現実的な判断を割り引いても、後々に禍根を残す表現と言わざるを得ない。

 いわゆる勤務間インターバルは、19年答申に向けた「学校における働き方改革特別部会」の部会長だった小川正人・東京大学名誉教授が推奨していた。しかし素案は「『勤務間インターバル』の取組を学校においても進めることには大きな意義がある」と、まるで人ごとだ。早出遅出勤務やフレックスタイム制度、テレワークの導入促進も同様である。

 戦略や兵站(へいたん)を考慮せず泥沼化した戦中の発想と何ら変わることはない、と言ったら心外かもしれない。しかし会合の開始と同時に公開された素案の説明を聞きながら、陰から「まだまだ士気が足りない。総員、突撃して玉砕せよ」という声が聞こえたような気がした。

 

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2024年4月20日 (土)

「教師確保」素案〈上〉 定数改善に禍根残さぬか

 19日の中央教育審議会初等中等教育分科会「質の高い教師の確保特別部会」第12回会合で、審議まとめの素案が示された。これほど開催前から注目された案文も近年、珍しい。

 教員給与特別措置法(給特法)の廃止が打ち出されなかったことを批判する向きもあるが、教職調整額の増と「学校の働き方改革」は全くの別問題だ。むしろ半世紀もの間、調整額の支給率引き上げが放置されていた方がおかしかった。

 素案には、支給率を「少なくとも10%以上とすることが必要」との指摘が盛り込まれた。確かに特別部会では引き上げるべきだとの意見が相次いでいたが、具体的数値が検討された記憶はない。もちろん、それによって財源がどのくらい必要かのデータも示されていない。

 何のことはない、昨年5月に自民党「令和の教育人材確保に関する特命委員会」(萩生田特命委)が出した提言と同じだ。時間外在校等時間を将来的に月 20 時間程度となることを目指すというところまで一緒である。人材確保法による給与改善後に優遇分が7%だった水準を確保するため、という根拠が示されたことだけが目新しい。

 仮に支給率を10%に引き上げるとすると、4%の2.5倍に相当する。4%の根拠は1966年の教員勤務実態調査で時間外在校等時間が約8時間だったことだが、8時間の2.5倍は20時間になる。萩生田特命委も中教審特別部会も出どころは文科省だと考えれば、当然だろう。 

 では、幾ら必要になるのか。参考になるのは、前回の「学校における働き方改革特別部会」第8回会合(2017年11月)であった文部科学省事務局の説明だ。当時の財務課長は委員の質問に「しっかりした試算を出しているわけではない」と断りながらも、調整額1%分の国庫負担分は約120億円で4%だと500億円弱になるとの数値を披露した。

 この数値が今もほぼ変わらないとしたら、10%に引き上げるには国費で約720億円の追加費用が必要になる。国庫負担率は3分の1だから、3分の2の地方負担分は約1440億円だ。なるほど国と地方を合わせて9000億円を軽く超えるとされた7年前に比べれば、はるかに現実的な数字である。

 それでも財源捻出が厳しいことに変わりはないが、文科省は引き続き「骨太の方針」に強気の文言が盛り込めると見込んでいるのだろうか。確かに萩生田光一・特命委員長は安倍派の裏金問題で党から処分されたとはいえ、党役職停止1年で都連会長は続投可能だそうだから他の派閥幹部に比べ「失脚」はしていない。

 素案には、教職員定数改善に期待する文言が端々にたくし込まれている。しかし支給率の引き下げが、本格的な改善論議に支障を来すとしたら問題だ。調整額は本給に組み込まれるから、退職金にも反映され将来的な財政負担につながることも指摘しておこう。

 本社はかねて、処遇改善の余裕があるなら定数改善に回すことを主張してきた。もちろん処遇改善も定数改善も両方勝ち取れる見込みが文科省にあるのなら、結構な話である。不思議なのは特別部会の中で「限られたリソース(財源)をどう配分するか」といった意識が表明されていたのに、素案には反映されず委員から異論すら出されなかったことだ。わずかに教育研究家の妹尾昌俊委員が時間外20時間程度を目指すことに「反対」を表明し、連合副会長の金子晃浩委員も早急に20時間とするためのロードマップを示す必要性を指摘したことが救いだ。 

 

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2024年4月 5日 (金)

【雪下鐘音】40年と桜

▼4日、東京で満開が発表された。この10年で最も遅いという。横浜はまだだが、けっこう咲いていた。鎌倉もそうだった▼40年前のこの日は、開花の兆しもなかった。といっても花見の習慣もない道産子にとっては数日後の入寮オリエンテーションで、やっと先輩が見つけた一枝差しを前にしてもピンと来なかった。満開の段葛が赤いぼんぼりに照らされて血塗られたように見え、恐怖さえ覚えた▼開花が待ち遠しくなったのは、いつからだったろう。乾燥した厳しい冬を重ねたせいか、あるいは薄桃色の花がこんもりする様が雪のように見えてきたせいか▼本社のある池上界隈は、東京より横浜の開花状況に近い。とはいえ今年は、不思議な状態にある。御会式桜(十月桜)は花をつけたままだし、例年ソメイヨシノと入れ替わる枝垂桜は靖国で開花が宣言された頃ようやく見ごろを迎え満開発表に前後して散り始めた▼この40年で世はバブルから「失われた30年」が続き、気候温暖化も著しい。ソ連崩壊の直後から冷戦の代理戦闘地で虐殺が相次いでいると聞いてはいたが、さすがに民族・宗教対立のエスカレートはショックだった。国内では小泉構造改革と「アベ政治」、国外では米トランプ大統領の登場から大使館襲撃に至って民主主義さえ混迷を深めている▼教育界は臨教審を経て学習指導要領も4回改訂され、年内には次期の改訂諮問が見込まれている。しかし文部科学省はかつて歩き回った文部省とは様相が変わり、今や出入りどころか局課の移動すら難しい。諸会合も新型コロナが5類に移行したというのに、対面傍聴が解禁される兆しはない▼京都の桜は、どうだろう。変わらないのは築111年目を迎えた京都大学吉田寮だ。1985年当時でさえ、関東大震災の3年後に再建された我らが寮より頑丈そうだった▼鎌倉で隠れた桜の名所はどこかと聞かれたら、迷わず清泉小学校の路地と答える。しかし一番は、もはや鉄扉越しから眺めるしかない第二の故郷への通用路である。

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