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2024年5月 5日 (日)

「教師確保」素案〈下〉 抜本的改革は「魅力」喪失の現状認識から

 中央教育審議会に「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」を諮問するのに先立ち、論点整理を担うため文部科学省に設置された会議体の名称は「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」だった。議論の場が中教審に移っても、しばしば委員から「教職は本来、魅力ある仕事だ」「もっと教職の魅力をアピールすべきだ」といった発言が聞かれた。

 背景には教員採用試験の倍率低下による質の低下への懸念と、構造的に「教職浪人」を当てにしてきた臨時講師人材の枯渇による「教師不足」があった。魅力向上策を打ち出せば、そうした問題も解消されるはずだとの楽観的な認識があるように思えてならない。

 もう、はっきり言ってしまおう。今の教職には、かつてあったような魅力は失われている――。そうした認識から出発することなしには、本当の意味での魅力向上策など期待できない。

 中教審でもう一つ、委員から繰り返された発言がある。教職が「高度専門職」だ、ということである。本来、今回の審議まとめ素案もそうした観点からまとめられたはずだった。しかし、これも「現状では、教職は高度専門職ではない」という認識から出発すべきである。

 言うまでもなく、戦後の教員養成は開放制の原則を取ってきた。たとえ教員養成学部であっても、教員免許の取得が必ずしも教師としての優秀性を証明するものではない。運転免許証と同様、あくまで教壇に立つ資格を得るというだけだ。

 だからこそ教育公務員特例法で「研究と修養」が努力義務化され、改正教育基本法にまで規定された。つまり教職は、高度専門職に向かって絶えず学び続ける存在ということだろう。それは、教育の目的である人格の完成に似ている。

 「教職課程でしっかり教えるべきだ」――これも教育課題を議論する時、しばしば聞かれる言葉である。しかし、それが教職課程のカリキュラム・オーバーロードをもたらしてきた認識をしっかり持つべきだ。教職課程コアカリキュラムを策定したからといって、解決できる問題ではない。それどころか、ますます教職離れをもたらすだけだろう。

 教師をめぐる政策は養成・採用・研修を一体で行われなければならないというのも、昔から言われてきたことである。教師の質や教職の魅力に危機が訪れているとしたなら、まさに養成・採用・研修を一体とした抜本改革が必要になる。具体的には養成段階から安心して学べるような環境を用意するとともに、採用でも優遇。入職後は「研修の自由」が保証されなければならない。それでこそ、高度専門職と呼ぶにふさわしい。

 「教育の質は、教師の質を超えることはない」――経済協力開発機構(OECD)教育・スキル局のアンドレアス・シュライヒャー局長が繰り返す指摘を、何度聞いたか分からない。 もちろん文科省もそれを意識しているからこそ、教師の質にこだわっているはずだ。そうであるなら、本気で教師の質を向上させる政策づくりに取り組まなければならない。幾ら既成政策の部分最適を積み重ねたところで、全体最適にはならない。児童生徒のみならず教師のウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)を追求しようとするなら、なおさらである。

 

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