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2024年7月

2024年7月14日 (日)

【池上鐘音】老害の還暦

▼NHK2024年度前期の連続テレビ小説『虎に翼』が好調のようだ。現代に通じる民法や家族の問題が、女性視聴者に刺さっているらしい。男性も同じだ▼5日放送の回では、主人公の猪爪=佐田寅子(伊藤沙莉)に恩師の穂高重親(小林薫)が最後にこう話し掛けた。「佐田君、気を抜くな。君もいつかは古くなる。常に自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出がらしになってくれたまえ」▼50代に入ったころから、自分が既に老害なのではないかという自覚が出始めた。結局、昔と同じことしか書いていないと気付いたからだ。学習指導要領の改訂や高大接続改革を追う中でつい忘れがちになったが、22年10月に拙著『学習指導要領「次期改訂」をどうする』(ジダイ社)を出して以来ますます繰り返し傾向が顕著になってきた▼思えば学生時代、上級学年や留年生になって後輩から「文句じじい」と呼ばれていた。ろくに寮務もしないくせに原則論ばかり振り回すのが嫌気されたらしいのは分かっていたが、退寮あいさつまで憎まれ口をたたいて社会に出た。それから40年がたち2度目の甲辰を迎えたが、二十の魂百までである▼国内外の情勢は混迷の度を深める一方だ。もはや自分たちが育ってきた時代のように、希望ある未来を若者が描くことなどできない。一人一人が生活者・主権者として、課題を発見し納得解を得られるようエージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)を発揮する力を付けなければならない――という主張も同じことの繰り返しである▼古代中国文化圏では十干十二支で歴史を認識してきたが、死すべき人間は60年単位でしか記憶ができないということかもしれない。ましてや戦後79年ともなれば、既に多くの人が過去の教訓を顧みることは少なくなる▼だからこそ穂高先生の言葉が染みる。徹底して原則にこだわりつつ、常に事実を疑い続けて新たな知識を吸収し補強する――そうすれば立派な出がらしになれるだろうか。100年先まで生きていることはないが、日本国が続く限り書いたものは国会図書館に残ろう。

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2024年7月 6日 (土)

昭和100年 戦争の徹底反省から「ポスト学制150年」の教育へ

 林芳正官房長官は5日午前の記者会見で、昭和元年から100年となる2026年に向けて内閣官房に「昭和100年関連施策推進室」を設置したと発表した。明治150年と同様の懐古的な臭いがしないでもないが、むしろ今後の社会と公教育の在り方を抜本的に問い直す契機としたい。

 100年を迎える26年12月といえば、改訂作業の10年後ろ倒しが見込まれる次期学習指導要領について中央教育審議会で答申がまとまる時期に当たる。まさに過去と現在、未来の課題を考えるにふさわしい。

 昭和時代には大正デモクラシーを踏みにじった無謀な戦争で教育も国家総動員体制を担わされ、敗戦を経て今に続く新教育制度が始まった。戦後民主教育や「逆コース」の評価はさておき、右も左も強烈な戦争体験を共有していた。

 しかし本社もかねて言及してきたように、日本社会はいまだ「失敗の本質」を克服できていないように思う。そんな中で解決の糸口がつかめないロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ無差別攻撃、米国連邦議会議事堂襲撃をあおったトランプ前大統領の再選可能性、中国などとの関係悪化に乗じて突き進む集団自衛権の強化などに際し、歴史を教訓としないまま日本は同じ過ちを繰り返しかねない。ましてや昨今の違法ギリギリなら何でもありの選挙戦に至って、民主主義は危機の度合いを深めていよう。

 今こそ「教育の力にまつ」(旧教育基本法前文)ほかない。そのためにも、次期指導要領が決定的に重要だ。そしてアンドレアス・シュライヒャー経済協力開発機構(OECD)教育スキル局長が言うように「教育の質は教師の質を超えることはない」とするなら、教職の自律性・創造性を回復することが不可欠になる。

 もし本気で「一人一人の子供を主語にする学校教育」(21年1月の中教審「令和の日本型学校教育」答申)を目指すなら、そのため仮に合田哲雄・文化庁次長の持論のように指導要領を「教育課程プログラム」化するとしたら、教職員定数の算定基礎から条件整備を見直す必要がある。そうしてこそ、令和答申や第4期教育振興基本計画が掲げる「誰一人取り残さない」教育の実現が図られよう。

 国の借金(普通国債発行残高)だけで1000兆円を優に超え、課題先進国と言われながら課題を先送りし続ける「課題解決後進国」のままでは次世代を担う子どもたちに申し訳が立たない。せめて自ら課題を発見し納得解を得られるような生徒エージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)のための資質・能力を身に付けさせてあげることが、共同エージェンシーを発揮すべき大人の責任ではないか。

 改めて、前回改訂の16年12月答申が「よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創る」という目標を打ち出した意義を振り返りたい。指導要領の実施が折り返し地点にある今、本当にそうなっているのか。むしろ学校教育を巡る環境は悪化し、社会も混迷を深めていると言わざるを得ない。

 26年12月にも出される答申を希望あるものとするためにも、今後2年余りの審議が決定的に重要だ。そのためにも政治や社会が、徹底的に「昭和」とそれに続く「平成」を総括する必要がある。その先にこそ、ポスト学制150年の教育が展望できよう。

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