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2024年8月

2024年8月30日 (金)

教師の質確保答申 何を「スタート」すべきか

 27日の中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について」には、「全ての子供たちへのよりよい教育の実現を目指した、 学びの専門職としての『働きやすさ』と『働きがい』の両立に向けて」という長いサブタイトルが付いている。7月26日の「質の高い教師の確保特別部会」最終会合の段階では「…学校における『働きやすさ』と…」だったが、秋田喜代美・学習院大学教授の意見を受けて修正された。

 確かに同部会では終始、教師が専門職であるという前提で議論が行われた。ただし究極的には教師の業務が「自発性・創造性に委ねるべき部分が大きい」という教職給与特別法(給特法)を維持する論理として利用されたにすぎない――と言ったら言いすぎだろうか。

 27日の総会では部会長だった貞広斎子・千葉大学教授が改めて「むしろ、ここからが本番」と述べ、青海正・全日本中学校長会会長(東京都大田区立志茂田中学校長)も「スタートラインに立った」と応じた。しかし何をスタートすべきなのかは、よくよく考えなければいけない。

 答申は「①学校における働き方改革の更なる加速化、②教師の処遇改善、③学校の指導・運営体制の充実を一体的・総合的に推進する必要性を提言した」と自賛する。これらは「相互に密接な関連を有する」というより三題ばなしのようなもので、三つが同時に実現しない限り「教職の魅力を向上させること」はできないことになる。ましてや①がほとんどゼロ回答では、働き方改革も進まない。そもそも2019年1月の働き方改革答申から既に5年半が過ぎており、今さら本番とかスタートとか言われても困る。

 秋田教授は先の発言で「高度専門職」と言いかけて、すぐに「『高度』は入らなくてもいいが」と言葉を継いだ。そもそも最終盤での修正に遠慮して、せめて議事録に残してほしいという趣旨だったが「高度」こそが本質だろう。

 出発点というなら、教職を真に高度専門職とするには何が必要かという観点から議論を始めるべきだった。それでこそ、養成・採用・研修も処遇も働き方も「一体」で改革論議ができたろう。それなのに「正規の勤務時間外に校務として行われる業務が、時間外勤務を命じられて行うものでないとしても、こうした業務も含めて時間を管理することが、学校における働き方改革を進める上で全ての出発点」と言われても、堂々巡りにしかならない。

 確かに現状で教職を医師や弁護士と同等の高度専門職と呼ぶことは、とてもできない。それでも改正教育基本法では、国公私立を問わず教員が「絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」存在とされた。開放制原則の下では教員免許の取得だけで「高度」専門職であることを保障されないが、採用後の研修によって常に高度専門職を目指すことが義務であり権利でもある。22年12月の中教審答申でも「学び続ける教師」を打ち出したではないか。

 経済協力開発機構(OECD)のアンドレアス・シュライヒャー局長が言うように学校の質は授業の質を超えるものではないし、教育の質は教師の質を超えるものではない。教師の質を上げる第一歩が処遇改善であることに間違いはないが、処遇が悪化しても教育の質向上にまい進し続けてきたのが日本の教師だ。それに報いるためにも教職調整額の引き上げは遅きに失した感すらあるが、それにとどめてはいけない。

 中教審総会では、答申を学習指導要領の改訂に反映させるよう期待する意見もあった。ただし、働き方改革のために教育課程をスリム化するというのは本末転倒だ。今回の答申が「日本の学校教育は更なる高みを目指」すと言うのなら、教育の質向上と教師の質向上を一体化させた議論こそ求められよう。「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」の論点整理骨子案に、その萌芽はある。

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2024年8月27日 (火)

【池上鐘音】5分間の既視感

▼26日午後10時からNHKで放送された『映像の世紀バタフライエフェクト』は「太平洋戦争 日米プロパガンダ戦」だった。その中で開戦1カ月後に内閣情報局が出した『大東亜戦争放送しるべ』に「我が海外放送は強力な思想戦の尖兵として活躍し、姿なき爆弾となる」とあったことを紹介していた▼それに先立つ同日午後5時50分、『午後LIVE ニュースーン午後5時台』を早く終わらせる形で『NHKからのお知らせ』として「8月19日放送のラジオ国際放送中国語ニュースについて」が放送された。わずか5分間の番組で「今回の事案は、『わが国の重要な政策および国際問題にたいする公的見解ならびにわが国の世論の動向を正しく伝える』などと規定している国際番組基準に抵触するなど、NHKが放送法で定められた責務を適切に果たせなかったという、極めて深刻な事態であり、深くお詫び申し上げます」というコメントが3回も繰り返された▼確かにNHK国際番組基準の第1章「一般基準」の2には「内外のニュースを迅速かつ客観的に報道するとともに、わが国の重要な政策および国際問題にたいする公的見解ならびにわが国の世論の動向を正しく伝える」とある。ちなみに国内番組基準の第2章「各種放送番組の基準」の第5項「報道番組」に、同様の規定はない▼仕事柄NHKの朝・昼・夜のニュースは、必ずチェックしている。かつては解説番組も注意深く耳を傾けていたが、内容が薄くなったと感じたのは第2次安倍政権になって以降だったろうか。それは今も続いている。記者にとって、今や自己規制が当たり前になっているのかもしれない▼先のコメントも、おそらく周到に書かれたのであろう。あくまで国際番組基準に抵触したのであって国内番組基準ではない、という書き手の良心さえ読めるのは気のせいだろうか。しかし5分間の番組から受けた印象は、まるで大本営発表を繰り返す戦時中の放送だった▼『映像の世紀』では太平洋戦争中、日米とも情報戦を展開していた姿が描かれていた。特に日本の総力戦では、マスメディアはもとより学校教育も特攻兵の神格化に動員されていた。過去の話だ、と笑えるだろうか。

 

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2024年8月17日 (土)

【蝦夷地鐘音】新しい戦前

▼今年の帰省中には驚くことが相次いで起こる。元旦は実家に着いて一息ついたところで能登半島地震、翌2日は前日に降りた新千歳空港滑走路で日航機と海上保安機の衝突事故だった▼今月14日の東京新聞電子版には、同紙140周年を記念した「ニュース深掘り講座」特別編の記事が載った。7日に日比谷図書文化館(東京)で行われたノンフィクション作家、保阪正康氏の講演詳報だ。北海道の同郷でもある▼演題は「『新しい戦前』にしないために」。7月の東京都知事選で現職の小池百合子氏に次いで票を集めた石丸伸二氏について「恥を知れ、恥を」といった口ぶりを「昭和10年代の帝国議会の軍人の答弁と思った」と述懐した▼その14日午前、岸田文雄首相が9月の自民党総裁選に出馬しないことを表明した。秘書官に話したのも当日朝だったというから、大騒ぎになっても無理はない▼翌15日は言うまでもなく終戦記念日で、岸田首相は全国戦没者追悼式に例年通り出席していた。不出馬表明のタイミングは別に理由があったようだが、そこに「戦後」軽視の姿勢を見て取った人は少なくない。そもそもハト派の代表である宏池会の出身にもかかわらず、安保関連3文書の改定や防衛費の大幅増額など安倍晋三政権でも成し得なかったことを次々と実現した▼保阪氏は15日付の北海道新聞連載「昭和の語り部 半藤一利の伝言㊥」で、二・二六事件の背景には貧困に何もしない政治に対する青年将校の不満があったことを指摘していた。「経済、経済、経済」と語った岸田首相の経済政策はどうだったか▼先の東京新聞講演もそうだが、保阪氏は道新には16日付掲載の配信記事「自衛隊、不祥事に見る劣化」で昭和前期の軍事主導体制の誤りに重ねていた。直接の関係がない出来事も、羅列すると「いつか来た道」の要素がそろいつつあると背筋が寒くなる▼同日付に載った連載記事の㊦ではジャーナリストの青木理氏が保阪氏も交えた15年の鼎談(ていだん)を振り返り、社会が戦争に向かっていく時の「六つの兆候」として半藤氏が①被害者意識と反発が国民にあおられる②言論が不自由になる③教育が国粋主義に変わる④監視体制が強化される⑤テロの実行が始まる⑥ナショナリズムが強調される―を挙げていたことを紹介している▼③の典型例は、「愛国心」を強調した教育基本法の改定だったという。愛国心を前面に出さなくても、ことさら「改正」教基法を持ち上げる総裁候補には気を付けなければならない。ましてや、熱狂で迎えることがあっては。

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2024年8月10日 (土)

【内側追抜】某祈念式典

某首相「両方うまく乗り切ったから、俺の支持率も上昇するよな」

某首相秘書官「……」

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