【内側追抜】決選投票後
「あたくしが落ちたのは、例の朝ドラのせいだわ! また圧力かけてやらなきゃ」
――某候補
「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(座長=天笠茂・千葉大学名誉教授)論点整理の成案が18日、文部科学省のホームページ(HP)で公表された。さっそく朝日新聞も7月に行った荒瀬克己・中央教育審議会会長のインタビューを記事化しており(22日付朝刊、電子版には堀田龍也委員も)、今後ますます学習指導要領の改訂に向けた機運が高まろう。
論点整理では、現行指導要領について「前文と総則のコンセプトは優れており、現在においても概ね妥当」との認識を示している。朝日のインタビューでも荒瀬会長は「現行の学習指導要領の方向性を大きく変える必要はない」との考えを明らかにしているが、これは新型コロナウイルス禍の前からの持論でもあった。
論点整理で注目点の一つは、現行指導要領の全面実施にコロナ禍が重なった2021年1月の中教審答申(いわゆる令和答申)で打ち出した「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」をどう位置付けるかだった。これについては17日の案文段階から▽資質・能力の三つの柱▽教科固有の見方・考え方▽主体的・対話的で深い学び▽習得・活用・探究▽個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実――等の「重要なコンセプト間の関係性についてはより分かりやすく整理して示すことが必要」とするにとどめている。かねて荒瀬会長も「令和答申は指導要領のトリセツ(取扱説明書)」と表現していたから、現段階ではそう受け止めておくべきだろう。
見逃せないのは、三つの柱について「理解のブレが見られ資質・能力の育成の障害ともなっているため更なる整理・具体化が必要」としていることだ。あくまで例示ではあるが、▽「知識及び技能」は、個別的知識及び技能と概念的知識・方略の関係性をより整理すべき▽「学びに向かう力、人間性等」は「今の学びに向かう力なのか、その先の学びに向かう力なのか」、さらには「学び自体に向かう力なのか、学びの先に社会に向かう力なのか」といった視点から多義的な解釈がなされており更に整理すべき――だとの考えを示している。
本社も現行指導要領の告示前から三つの柱の「更なる検証」を主張してきたから、それ自体は歓迎したい。とりわけ重要なのは、知識・技能が「個別的知識及び技能」と「概念的知識・方略」に分けられている点だ。これはカリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)にも対応するコンテンツ(学習内容)の「整理」(朝日の荒瀬会長インタビュー)とともに、論点整理にある「入試が必ずしも十分に変わっていない中で、授業改善の方向性と入試の出題傾向にズレが生じ、結果として教科書の内容も授業も変わりづらい」問題とも関わる。実は「ゆとり教育」の是非にも関連する大きな論点のはずだし、場合によっては「国民の関心事」である入試を揺るがすものでもある。
その上で、新たな主張を加えたい。指導要領自体が教育課程編成上の全国的基準であるとするなら、そこで示された資質・能力もあくまで「基準」として大綱性を持たせることだ。
これについては、既に高校で「スクール・ミッション/ポリシー改革」として好例が広がっている。義務制でも、育てたい資質・能力として独自の「○○力」に整理し直しているところがある。思い起こせば「ゆとり教育批判」で全国が学力向上対策に追われた時、あえて「PISA型学力」の育成を掲げた学校は少なくなかった。
まずは学校教育法30条2項で規定する「学力の3要素」に沿っていれば、法的には問題ない。その上で指導要領が示す資質・能力論を参考に、教育課程編成権を持つ各学校が独自の資質・能力を設定する裁量を持たせてもいいのではないか。当然、経済協力開発機構(OECD)の「ラーニング・コンパス」や国際バカロレア(IB)の「学習者像」(10の人物像)をそのまま採用してもいい。
心配なのは「受験学力」にますます特化した学校がはびこることだが、それも裁量や独自性の範囲内だから仕方ない。受験を通して生涯にわたる学力や資質・能力を育成するという論も、あながち否定はできない。そもそも旧来型の「学力」入試が、18歳人口の減少と大学再編・統廃合時代にいつまで続くことだろうか。
肝要なのはウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)を目指して学ぶ子どもたちにどのような資質・能力が必要なのかから学校現場が構想して、教育課程を編成することだ。そこまでしてこそ教育課程編成権の発揮と言うべきだし、その潜在的な力を学校現場は持っているはずだ。次期指導要領は、現場への期待と信頼を根底に置かねばならない。
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文部科学省の「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(座長=天笠茂・千葉大学名誉教授)が17日の最終会合で、論点整理案を大筋で了承した。成案が出れば、いよいよ中央教育審議会に対する学習指導要領の改訂諮問が射程に入ってくる。
この「天笠検討会」は前回改訂(現行指導要領)に際しての「安彦検討会」(育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会、座長=安彦忠彦・名古屋大学名誉教授)に相当するが、違いも多々ある。安彦検討会が教育課程や学習評価の研究者9人で固め精緻な議論を重ねたのに対して、天笠検討会の10人は教育行政の研究者や教育長、教員出身の中教審会長へと幅を広げたことだ。
そうした委員の構成は、検討会の成果にも反映したと言えよう。安彦検討会の論点整理は学術的にも裏打ちされた提言であったため、かえって中教審ではそのままの形で受け入れられなかった。2014年3月の論点整理から諮問まで約8カ月かかったのも、次期指導要領にどう落とし込むか文科省内でも慎重な検討を要したためだろう。
これに対して天笠検討会は、委員や外部有識者のヒアリングを基に出し合った「論点」を「整理」したものだ。裏を返せば各論点は必ずしも突っ込んだ議論が行われたわけではなく、むしろ論点「羅列」に近い。安彦検討会のような文章ではなく、ほぼ箇条書きに終始しているところにもそれが現れている。
そんな検討会の性格は、中教審の審議にも影響すると予想される。今回は改めて行政的検討を行う必要なく、そのまま諮問の基にできよう。政治状況にも左右されるが、当初の予定通り11月諮問さえ見えてくる。それだけに前回と同様に教育課程企画特別部会が開かれるとしたら、生煮えの論点に一から議論を深めなければならないはずだ。
そんな各論点については今後、詳細に論じていきたい。まず注目したいのは、論点整理案に「中央教育審議会等における改訂の審議の最中においても、資料を学校や教育委員会にとって徹底的に分かりやすいものとしたり、審議状況をウェブサイト・動画等で積極的に発信したりするなど、改訂プロセス自体を通じて子供や保護者等を含む多くの関係者を巻き込み、学校や教育委員会と趣旨や内容を共有しつつ、浸透を図っていくことが重要」という一文が入ったことだ。
天笠検討会の論点整理は、現行指導要領の延長線上に次期指導要領を描くことを基調としている。しかし実際には趣旨やねらいが必ずしも正しく教育現場に周知されず、授業改善は「道半ば」だとみている。だから先のように、審議過程から関係者を巻き込もうとしているわけだ。
それを「浸透」の方策にとどめてはいけない。むしろ現場や学術界から積極的な提言を行って、次期指導要領に反映させる努力を行うべきだ。しかも諮問を待つのではなく今から、である。
本社が2年前に『学習指導要領「次期改訂」をどうする』(ジダイ社)を上梓したのも、そんな下からの議論が教育界こぞって巻き起こることを期待してのことだった。しかし現状では一部の意識的な人たちを除いて、多忙化に追われるほとんどの現場は口を開けて改革が「降ってくる」のを待っているだけではないか。
論点整理に従えば現場の裁量は拡大されるはずだし、示された以上に拡大する必要さえあろう。しかし現場が判断停止状態に陥っていては、ますます趣旨の実現に格差が拡大するだけだ。
幸いにも、前回改訂時の豊かな教訓がある。その反省を生かして今度こそ現場の主体性・創造性を生かし、子どもたち一人一人に将来社会で活躍できる資質・能力を確実に身に付けてもらうための指導要領づくりが求められる。正式に決まったものを後から批判したり、淡々と無批判にこなして自縄自縛したりを続けていては「日本の学校教育は更なる高みを目指」す(8月27日の中教審答申)ことなどできない。
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経済協力開発機構(OECD)が10日、「図表でみる教育2024」を発表した。これに先立って日本の記者向けに行われたアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長の事前説明で注目すべきは、学校現場の裁量を拡大するよう推奨したことだ。
いつもシュライヒャー局長の話を聞いていると、日本の教育に対するエビデンス(客観的な証拠)に基づいた国際的評価と、自己肯定感の低い国内評価の差にがくぜんとする。例えば「世界一忙しい」とされる教師の年間授業時間は加盟国の中でも少ない方にあり、財務省などはこれを改めるよう主張している。しかし局長は今回も明確に、授業以外で児童生徒を支援したり教員同士で協働したりする余裕があることで「ウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)にもプラスの効果を生んでいる」との見方を示した。
財源が限られているなら学級定員の引き下げよりも教員の処遇改善を優先すべきだ、というのも持論だ。だから教職調整額の支給率引き上げについて見解を尋ねられると「優秀な教員を確保するためには、よい判断だ。私でもそうする」と応じた。ただし「あまり期待しすぎない方がいい。教育の仕事には知的魅力が必要だ。専門職に対するサポートがあり、研鑽を積む場があることも教職に就く判断材料になる。教育に関わろうとする人の本源的価値はお金ではない」と付け加えることも忘れなかった。
さらに授業負担とカリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)について問われると、これにも「学級規模や労働条件の問題だけではない。より的を絞って深い学びを与えることが、日本に求められる」とした上で「日本の現在のカリキュラムは、詰め込み過ぎ。もっと現場に裁量の余地を提供することが重要だ」と指摘した。
中央教育審議会に対する学習指導要領の改訂諮問が今年中とも見込まれる中、今回の指摘を十二分に考慮する必要があろう。諮問の準備作業を担う「天笠検討会」(今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会)の中でも、同様の認識が共有されつつある。
指導要領は教育課程編成の基準として法的拘束力を持つ一方、大綱的基準として多くが現場の裁量に委ねられているはずだ。法的に使用義務がある教科書にしても、全ページを授業で扱う必要などない。それにもかかわらず、現場は指導要領の一言一句や教科書の記述に縛られている。多忙化や、批判を恐れる思考停止状態がそれを助長している。
そうした意識は「55年体制」以来の歴史的経緯もあって根付いたもので、必ずしも現場を責められるものではない。しかし次期改訂を機に、本来あるべき現場の裁量を復権すべきだ。そうしてこそシュライヒャー局長も指摘するように、教職の魅力も回復しよう。
その意味で、先の「質の高い教師の確保」答申は未完成だ。次期指導要領と、それを実現するための条件整備をセットで議論することが不可欠になる。
そもそも「ゆとり教育」によって「学力低下」は起こらなかった、というのが「生徒の学習到達度調査」(PISA)を分析したOECD当局の結論だ。次期改訂こそ内向きの言説に惑わされることなく、エビデンスに基づいた未来志向の議論を期待したい。
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