戦後80年 二度と戦争をしない教育課程に
戦後80年を迎えた。昭和史研究家の保阪正康氏は今年の「昭和の日」に北海道大学で行った講演の中で、江戸時代の265年間ただ一度も戦争をしなかった日本が明治維新後から敗戦までの近代史77年間のうち50年間「戦争ばっかりやってい」たと指摘。近代史に戦後の現代史を合わせても157年間と、江戸時代に100年以上も足りないと注意を促している(『保阪正康と昭和史を学ぼう』文春新書)。
「戦を避けるための知恵」(同)があった国が、なぜ無謀な戦争に突き進んだのか。学校教育や社会教育も、責任を逃れ得ない。教育勅語の発布(1890年)は日清戦争、文部省編『国体の本義』も太平洋戦争の、いずれも開戦4年前だ。
25年を1世代とすれば、既に3世代分から5年が経過している。保阪氏も言うように「戦争はいわゆる『同時代』の枠の中から、『歴史』へと移り、戦争というものを皮膚感覚で知る社会ではなくなった」(NHK、14日電子版)。
もっとも「歴史」は、知識として教える・覚えるものにとどまらない。例えば現行学習指導要領の中学校社会科歴史的分野も、知識・技能のねらいを「我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする」としている。
一方で某与党政治家のように、歴史は「書き換え」たり「作る」ことが可能だという認識が依然としてはびこっている。議席を伸ばした新興政党の歴史修正主義的発言がネットで拡散している状況も、気に掛かる。またぞろ検定教科書の細かい記述が政争化されては、たまらない。
以前も論じたが、太平洋戦争末期の航空機による「特攻」は人道にも物理法則にも反した戦術である。希望的主観から人命無視の非合理な作戦を立案・指揮した者の責任をこそ問うべきで、決して兵員の「心情」に帰着させてはならない。
現行指導要領は、予測困難な時代に一人一人が未来の造り手となるべく「社会に開かれた教育課程」を打ち出した。現在その延長線とも言うべき改訂論議が進んでいるが、今のところ各論が精緻過ぎて「骨」が見えていない。超大国の専制化をはじめ国内外の価値観が揺らぐ中、再び戦争を行わないための教育を隠れたテーマとすべきだろう。それだけ今は民主主義が危機に瀕しているのであり、戦争に巻き込まれれば「失敗の本質」(戸部良一ら著の同名書、中公文庫)を繰り返すことは必定だ。
「(日本国憲法の)理念の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」――戦後に制定された教育基本法は、前文でこう高らかに宣言した。2006年の「改正」でこの一文は消えてしまったが、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」(1条)を育成するという趣旨は継続されている。危機の時代に備える市民性教育こそ、憲法・教基法に基づく戦後教育を現代的によみがえらせる道だ。
保阪氏は出身地の地元紙・北海道新聞のインタビュー企画で、小学校高学年のころ「陸軍大将になりたい」と作文に書いた同級生を何度も平手打ちした男性教諭が後年「戦死した仲間を思い出して耐えられなくなったんだ」と打ち明けたことを振り返っている(「保阪正康が見た戦争」上、11日付)。「教え子を再び戦場に送るな」という戦後教職員組合のスローガンは、敗戦前の教育を反省しただけではない。現場教員はもとより師範学校生も出征し、傷を負った心からの叫びだったのだ。
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