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2025年9月 4日 (木)

養成・採用・研修改革 本当に「論点整理」する気か

 以前の社説で、中央教育審議会の教員養成部会が論点整理の議論に入ることに懸念を表明しておいた。不安は的中した、というべきだろう。

 1日に開催された会合の冒頭で部会長の秋田喜代美・学習院大学教授が、今回と次回で「論点整理」をまとめ「今後」の議論につなげたい考えを明らかにした。その後、事務局が論点整理の素案を説明。秋田部会長が「記載されていないアジェンダ(課題)」についても意見を求めると、出るわ出るわ。昨年12月末の諮問以来8回で一体、何を議論していたのかを疑わせるに十分だった。

 素案は、これまでの会合で示された三つの「諮問を踏まえ議論が必要と考えられる事項と基本的な考え方(案)」を足して若干の文章を付け加えたにすぎない。過去の会合で丁寧な議論がなされていれば、若干の修正を重ねればいいはずだった。だからこそ2回の議論でまとまる、と事務局はもくろんでいたのだろう。

 確かに、数人の委員から「よくまとまっている」という評価はあった。しかしそれは単に文章の形式がまとまっているという意味か、お世辞でしかないだろう。養成段階での「教師となる際に必要な最低限の基礎的・基盤的な能力」(論点整理素案)とは何かすら突っ込んだ議論はなく、教職課程の単位数減を提言するに及んだ。しかも一般大学と、教員養成大学・学部の区別なしにである。

 「日本版サプライティーチャー」の議論も、そうだ。ヒアリングで紹介された英国イングランドの制度をそのまま盛り込んだだけで、質の確保も含め具体策は「今後検討すべきではないか」(同)と論点整理後のワーキンググループ(WG)に丸投げしている。教師不足に窮した末の、安直な「ではの守」論議と言っていい。

 教育課程企画部会(企特部会)の主査も務める貞広斎子・千葉大学副学長の「(目的と手段の)主客が逆転している」という指摘が、象徴的だ。「制度の根本に立ち返った検討」(昨年12月の諮問理由)もなく、対症療法的なアイデアを生煮えのまま無造作に並べたにすぎない。秋田部会長でさえ論点整理の「構造化」やコンセプトのまとめ直しを要請したが、そんな手直し程度の修正で本当に「論点」が「整理」できるのか。

 事務局が「大学における養成」と「開放制」という戦後教員養成の原則を、知らないわけはあるまい。しかし今回の経緯を見ていると、この原則を安易に考えすぎているのではと疑われてならない。そうでなければ2種免許相当の単位数を「標準」に読み替えようとしたり、教員資格認定試験の民間参入に道を開いたりするなどという発想は出てこないはずだ。

 今回の顛末(てんまつ)は、とにかく事務局が月1回の会合に合わせて論点整理時期から逆算したスケジュールを淡々とこなそうとしたことに起因しよう。それも企特部会のように事務局案が練りに練ったものであれば、考えられないことではない。しかし事務局の準備も提案もおそまつであれば、委員も議論のしようがない。

 事ここに至っては、仕方がない。まとめの時期を遅らせてでも、抜本的な議論をやり直すべきだ。どうせ現段階で論点整理をまとめたところで教員の質確保・向上も教員不足対策も、できるわけがない。 

 

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