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2026年2月

2026年2月28日 (土)

次期指導要領「専門部会等」(7) 文科省事務局内の意思統一に疑問

 次期学習指導要領の改訂方針が、文部科学省事務局内ですら意思統一が徹底されていないのではないか――。そんな疑いを抱かせる一端が、20日にあった。中央教育審議会教育課程部会に17ある教科等ワーキンググループ(WG)でおそらく最も注目が低いであろう、産業教育WGでだ。

 当日配布資料の中に「専門高校における実践的・探究的な学び(イメージ)」と題するポンチ絵(概念図)がある。産業界との連携・協働による理論と実践の往還によって、生きて働く知識・技能(知・技)や未知の状況にも対応できる思考力・判断力・表現力等(思・判・表)を育成して「社会を支え産業の発展を担う職業人」へと育っていくイメージだ。

 その右側で個別の知・技や思・判・表が「統合的な理解」「総合的な発揮」に昇華していくような図示を、企特部会委員でもある溝上慎一・桐蔭横浜大学教授が問題視した。「こういう理解では次期指導要領の新しさは何もない。(担当の産業教育振興室は)教育課程企画室と擦り合わせてはどうか」と苦言を呈したのだ。

 これを産振室の事務官や教科調査官だけの「勘違い」とみてよいのだろうか。教育課程課の調査官にも同じような誤解が広がっているとしたら、深刻な問題だ。というのも各WGが親部会の教育課程企画特別部会(企特部会)に報告した目標や高次の資質・能力(中核的な概念等)の「たたき台の暫定的な整理」、というよりその原案を作成した調査官が本当に改訂趣旨を理解しているのか前々から疑問に思っていた。

 そうでなければ、7項目から成る「検討の方向性」を了承した2日の企特部会が「スリムで骨太な記載」(当日の委員発言を基に追加した「留意すべきポイント」)を求めるはずはない。つまり調査官の多くが、現行指導要領のイメージを引きずり過ぎているということだ。

 改めて確認しておこう。2024年12月の諮問にもあった中核的概念はビッグアイデアなどとも呼ばれ、国際的にもコンピテンシー(資質・能力)ベースのカリキュラム改革で重視されている。アンドレアス・シュライヒャー経済協力開発機構(OECD)教育・スキル局長の言を借りれば「科学者や歴史家のように考える」ことだ。

 ビッグアイデアの下で、個別の内容は「イグザンプル(例)」(教育課程部会長の奈須正裕・上智大学教授)でしかない。だからこそ入れ替え可能になるのだし、デジタル学習基盤の下では学習者がコンテンツを与えられるだけでなく自分から「取りに行く」ことも容易だ。だからこそ“less is more”(少なく教えて豊かに学ぶ)が成立する。

 2日以降に開催されたWGでは、個別の学習内容に向けた議論に入ったところも少なくない。それでも高次の資質・能力の修正案が示されたWGを見る限り、微調整ばかりで中核的概念に値するような骨太案には程遠い。これでは「カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)問題に対応するための、内容や教科書の大胆な精選アイデアが出ようはずもない。

 今回の改訂論議は諮問以来、現行指導要領の資質・能力育成が「道半ば」だとの認識に立ってきた。このままでは次期指導要領も、道半ばに終始するのではないか。今からそんな恐れを抱くのは、無用の心配に過ぎようか。

【関連本社配信記事】 教育調査研究所
 WEB版 きょういくフォーカス マンスリー
 2026年2月「『高次』の資質・能力はどうなる

 

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2026年2月21日 (土)

【内側追抜】某首相施政方針演説

「とにかく成長のスイッチを押して、押して、押して、押して、押しまくって、まいります。つくまで押しまくります」

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2026年2月 5日 (木)

次期指導要領「専門部会等」(6) 議論自体も「道半ば」だ

 中央教育審議会教育課程部会「各教科等の専門部会等」の〝親部会〟である教育課程企画特別部会(企特部会)が2月2日に開催され、総則・評価特別部会(総則部会)と14のワーキンググループ(WG)から報告を受けた。これに基づき7項目にわたる検討事項を、文部科学省事務局が提案。それに沿って順次、各WGで「精査」が行われる。

 検討事項の指摘自体は、いちいちもっともである。というより各WGで、なぜ最初からこの方向で議論ができなかったのか。ひとえに事務局の準備不足と言わねばならない。

 今次改訂でも10年前と同様、諮問前の準備作業として「有識者会議」方式が採られた。「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(主査の天笠茂・千葉大学名誉教授来)、いわゆる天笠検討会だ。期間は2022年12月から24年9月。最後はバタバタとまとめた印象が拭えないが、12月末の諮問に主要事項はほぼ盛り込めた。

 この1年9カ月間に、並行して各教科等の内容を水面下で検討する余地は十分あったはずだ。しかし、そんな動きは一切聞こえてこなかった。まずは基本方針が決まってから、というのは建前としてはそうだろう。そうはいっても、教科調査官レベルで内々に議論することは可能だったのではないか。

 実際、文科省教育課程課編集の『中等教育資料』では教科等の枠を超えた企画が組まれてきた。それでも調査官レベルで、基本的な意識改革さえできていなかったと見なければならない。そうでなければ各WGで、従来の指導要領の発想にとらわれた事務局原案が出てくるわけがない。

 その結果、WG委員も従来の枠内でしか意見が出てこなかった。「端的に」記述するという総則部会の方針も効かず、本文に書き込めないとなれば「解説で丁寧に」という意見であふれた。指導要領や解説の記述ぶりで実践が差配できるという発想のままでは、現場の自律性・創造性が発揮される大綱的基準としての指導要領などできるわけがない。

 教科等だけではない。「中核的な概念」を巡る混迷も、そうだ。検討事項では、総則部会が言い換えた「高次の資質・能力」という用語を検討・議論の「足場」としては今後も使うものの告示文では使わず、知識・技能に関する「統合的な理解」と思考力・判断力・表現力等の「総合的な発揮」だけにするよう提案している。

 確かにWGで、高次の資質・能力という用語に懸念が続出したのは確かだ。しかし、それは「『高次』と言われても、よく分からない」といった「低」レベルの議論だった。せっかく学術に由来する中核的概念を、現場になじみのある言葉に言い換えた結果がこれである。教員養成部会では教職を「高度専門職」に位置付けるべきだとの議論が続いているが、高度専門職の議論とは思えない議論が多くのWGで交わされていた。

 事務局資料では、各WGの検討ポイントが1枚紙にまとめられていて大変便利である。そのうち社会・地理歴史・公民、算数・数学、理科の各WGに「批判的」という言葉が注釈なしに出ている。実際のWGでは「批判」という言葉が、現場の誤解を招くとして不使用や言い換えを求める意見も根強かった。クリティカル・シンキングを理解しようともしないで、何が高度専門職か。「経験の浅い教師が増えている」というのは、言い訳にもならない。

 要するに企特部会の「高度」な議論が、委員間に何も浸透していないのだ。議論のアーカイブ動画で「行間まで読んで」(企特部会主査の貞広斎子・千葉大学副学長)もらった結果が、これである。なるほど従来型の記述に拘泥するのも当然で、ましてや「見方・考え方」の位置付けが変わったことも理解しようがない。

 もっとも事務局の整理や説明が悪かった部分が、多分にあろう。その点、企特部会の議論で貞広主査から最初に指名された奈須正裕・教育課程部会長(上智大学教授)の発言が簡潔かつ意味深長で、しかも非常に分かりやすかった。別に【資料】として発言の起こしを掲載したので参照されたい。今次改訂で行おうとしているのは、そういうことなのだ。諮問は現行指導要領が「道半ば」だというが、次期指導要領まで「道半ば」にしないための議論が早急に求められる。

 

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【資料】企特部会での奈須正裕・教育課程部会長発言

 よろしくお願いいたします。まず積極的で挑戦的なご議論をいただいているということを、とてもありがたいなあと思っています。領域編成の問い直しも起こっていて、理科や家庭科なんかで進んでいるようです。前回の算数・数学のような取り組み、ありがたいなと思っています。
 まず今回の作業ですけど、そもそも教育内容は階層構造を成しているという理解が大事かと思います。教育内容というのは単なる同レベルの内容事項の列挙ではなくて、現行指導要領でも目標、内容、内容の取り扱いということになっていますし、さらにそれが学校に降りると単元、教材ということになっているわけですね。今回、内容の一つ上の桁っていうんでしょうかね、それとして見方・考え方、高次の資質・能力を設置したらどうか、という作業かと思います。さまざまな国や地域で既にやられていて、ビッグ・アイデアとか、かつてのブルーナーの構造のような改革で、新しいものではありません。ただ諸外国のを見ると記述や水準もさまざまで、どの程度の階層でこれを記述・整理するのがよいのかに正解はないようです。海外の取り組みに学びつつ、各学校の教育課程編成、教科書も含めた実践創造に有用性の高いものをプラグマティックに選択するということでいいのではないかなあ、と個人的には考えております。また教科等によって、あるいは親学問の性格によって、これが変わってくるということは一定程度あるんだろうと思います。
 その上で、まずシーケンスというか段階ですけど、今回、小中高で一つにまとめていただいてる教科等と、各学年・2学年のまとめていただいている教科等があります。内容はほぼ同じで発達段階等を意識した水準や深さの書き分けということだと思いますけれども、やはりできるだけ大きな桁で書いてはどうかと思うんですね。難しいように思うかもしれませんが、例えば「幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿」って見ようによってはめちゃくちゃ高度なんですよね。でも5歳児でも見ていくとあの方向性、あの質というものが表れているという話なわけだと思うんですよね。そう考えれば、もう少し学年段階をまとめるということも可能かなあと思います。
 それから領域の方もだいぶさまざまで、教科の中の主要な領域ごとにまとめてくださっている教科と、もっと小さな内容のまとまりを基盤にまとめてくださっている教科等があって、どうしても内容に近い方に落としていくと記述が細かく大きくなってきますし、内容事項との差が少なくなってくるので、わざわざ設置する意味が少し少なくなるかなあと思うんですね。丁寧に正確に記述したいということはとても分かるんですけど、ポイントが見えにくくなるということではあまり意味がないかなあと思います。
 次に、学習活動を記述に含めている場合があって、これも教科等によっては必然性があるんだと思いますけど、これをするという活動をこの水準に書いてしまうと、割と下の桁の話ですから、どうかなあと、ちょっと気にはなりました。
 また思考・判断・表現の総合的な発揮というところの記述、どうしても似たような記述が並んでしまうということがあります。現行でも思考・判断・表現のところは学習対象だけが変わって全部表現が似てるって話があるんですけど、あれ、とてももったいないので何とかならないかなあと。一段水準を上げれば、まとめた記述にできる可能性はあるんだと思いますので、またお考えいただければと思います。
 それから作業の進め方・発想ですけど、まず今の学習指導要領、現行の内容を整理・統合して、そこに統合的なものを見つけていくというボトムアップの方向性は当然あってしかるべきだと思います。ただ一方で、そもそもこの教科等の本質は何だ、見方・考え方というのもそういうお話でしたし、私は教科の任務という言い方をしてますけど、この教科はどういうふうに子どもの資質・能力、子どもの有能さを高め、一生涯を支えていくようなことが独自に可能なのかということを、もう一度問い直していただく中でのトップダウンのようなことも併せて考えていただく、特にその高次の資質・能力はどちらかというと上の方の桁ですから、この教科の本質、領域の本質は何かという議論から見直していく。またそうすることによって内容の精選ということも場合によっては可能となってくるということがあるのかなあと思います。
 その際、今回割と進んでいますけど、教科で親学問がはっきりとある場合も無い場合もありますけど、ただ単に教科は親学問そのものではありませんけれども、その親学問の在り方を改めて参照しながら考えるということも、この見方・考え方や高次の資質・能力、統合という議論の中では大事かなと思っています。以上です。

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