社説

2020年7月 1日 (水)

共通テスト 「第2日程」希望、多めに報告を

 初となる大学入学共通テストの日程が、正式に決まった。新型コロナウイルス感染症の影響に伴って今回に限り設けられた“第2日程”(2021年1月30・31日)は、校長が認めれば現役生が受験できる。“第1日程”(同16・17日)の間で得点調整は行われない。

 第2日程を選択すれば、第1日程で出題された問題から共通テストの新傾向を正式に読み取れるメリットがある。一方で個別試験の日程は基本的に変わらないから、受験生はどちらを選ぶか悩みどころだろう。

 従来の追試験・再試験と違って、第2日程の会場は全都道府県に設けられる。文部科学省は、第2日程を選ぶ生徒がどれぐらいいるかの意向調査を全国の高校に行うという。

 各高校には、ぜひ第2日程の受験予定者数を多めに見積もってもらいたい。そもそも高校側はもとより生徒も、年末までの学習の遅れなど正確に見通せるわけがない。何しろ英語民間試験の活用がまだ生きていた際、文科省は生徒が各時期にどの検定を選択する意向であるか多めに報告するよう要請した“前科”がある。たとえ高校側が腰だめの数字を報告しようと、引け目を感じる必要はない。

 希望者が多ければ、それだけ各県で会場が多く設定される。大学側にとっては負担だが、例年通りの入試日程を主張した責任の範囲内だろう。その結果のコストは負うべきだ。

 もし第1日程と第2日程が同じくらいの受験生や会場になれば、期せずして複数回実施の“社会実験”になり得る。たとえ各日程の難易度が違って1点刻みの入試ができなくても、そもそも今般の入試改革は主体性・多様性・協働性も含め多面的・総合的に入学者を選抜すべきはずだから何の問題もない。

 こう書くと「受験生をこれ以上、実験に使うな」とか「公平な入試ができなくなる」という反論があろう。しかし1点刻みによる「公平」な入試からの脱却は、もともと14年12月の中央教育審議会答申で掲げた高大接続改革が目指していたものだ。それが高大接続システム改革会議、新テスト検討・準備グループと会議体を変えながら具体化を先送りする中で、いつの間にか変質していった。文科省自体も「公平」な入試の落とし穴にはまった感がある。

 年2回程度の複数回実施なら、難易度の平準化に項目反応理論(IRT)を持ち出すまでもなかろう。1点の重みが当然違っていることを前提に、各大学の責任で選抜すればいいだけである。なのに16年3月のシステム会議最終報告は、記述式問題や英語多技能評価などを導入することで1点刻みの評価は改革できるという論理のすり替えで複数回実施を見送ってしまった。

 本社が主張する社会実験とは改革を徹底して実装するため、いつかは必要になることだ。泥縄式に持ち上がった9月入学への移行論より、よっぽどましだろう。記述式と英語試験の見送りで、かえって「公平」な入試への回帰を促してしまっている傾向にも軌道修正を図るべきである。


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2020年6月 2日 (火)

アベノマスクより軽い困窮学生支援

 2020年度の文科省2次補正予算案を見て、がくぜんとした。生活に困っている学生等の支援として、授業料減免等に▽国立大学45億円▽国立高専2.3億円▽私立大学94億円――が計上されている他、私立高校生にも8.6億円、専門学校生への実証研究事業費としても2.6億円が盛り込まれている。これらの総額は152.5億円となる。

 これが平時なら、大いに評価できる額だ。しかし新型コロナウイルス感染症の影響でアルバイトもままならず、おまけにオンライン授業などで通信費などもかさんでいる。10万円支給があるとはいえ、食費にさえ困る学生生活に対する支援として十分なのだろうか。

 がくぜんとしたのには、もう一つ理由がある。全世帯に布マスク2枚を配る「アベノマスク」は当初見込まれた466億円ではなく260億円で済むそうだが、2次補正の学生支援はそれを100億円以上も下回っている。

 本社にも10日前やっとアベノマスクが届いたが、抗議の意を示すため送り返した。そのため品質がどうか実際には分からない。しかし見た目はうわさに違わず小さいもので、既に自前で10枚以上調達した布マスクに比べても使いづらそうだった。こんなものに血税を浪費されたかと思うと、怒りしか感じない。

 もっとやるかたないのは、今回の学生支援はそれ以下の評価しかされなかったということだ。

 安倍政権は高等教育の無償化を実現したと胸を張るが、「真に支援が必要な、所得が低い家庭の子どもたち」という限定が付いている。裏を返せば、それ以外の学生は「真に必要」ではないと言っているに等しい。しかし、いま生活に困っているのは、そんな「真に必要」と見なされなかった学生たちである。

 東京私大教連の調査によると、首都圏私立大学の19年度新入生は毎月の仕送り額が8万5300円で、家賃を除いた1日当たりの生活費は730円になる計算だという。保護者世代はこれをどう思うだろうか。もしかすると祖父母世代は「高い。今どきの学生は、われわれのころより恵まれている」とさえ思うかもしれない。

 しかし実態は違う。そもそも授業料は国立大学(標準額)が53万8000円、私立大学が18年度平均で90万4146円(文部科学省調査)と、30年前に比べて1.7~1.8倍になっている。私大は他に学生納付金もある。その間、物価が大幅に変動した実感はない。

 大学進学率が50%を超える一方、送り出す側の家計も大変だ。東京私大教連調査でも49.6%が受験から入学までの負担が「たいへん重い」と回答しており、「重い」を加えると92.7%を占める。実際には学生本人のアルバイトを前提として進学させている家庭も多いし、学費まで本人が稼いでいるケースも少なくない。日本学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金はせいぜい授業料等の一部が補えるだけで、それだけで進学できると思ったら大間違いだ。

 おまけに今は昔と違って「単位の実質化」により、学生は勉強しなければならなくなっている。夏季休業中に授業を受けなければならないことも珍しくない。電子出席システムで、代返も効かない。当たり前と言えば当たり前だが、本来なら日常的にバイトしている余裕さえないのだ。

 そんな実態を長らく放置し、「真に必要な」などと言って澄ましておきながら、この緊急事態に至ってもアベノマスク以下の救済措置で平然としている。決して文科省を責めているのではない。そんな程度の教育政策でよしとしてきた、政権の在り方こそが問われるべきだ。

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2020年5月16日 (土)

9月入学検討 「5歳児の義務教育化」どこへ

 新型コロナウイルスに伴う休校の長期化で急浮上した9月入学をめぐって、安倍晋三首相は14日の記者会見でも依然として「有力な選択肢の一つだ。前広(まえびろ)に検討していきたい」と述べていた。一方で日本PTA全国協議会(日P)や全国連合小学校長会(全連小)をはじめ、慎重な検討を求める意見も続出している。理由の一つに就学始期を5カ月遅らせることで、むしろグロバールスタンダートに逆行するのではないかというものがある。

 首相も含め、みんな何かを忘れていないか。実は本社も忘れていた。「平成の学制大改革」(2013年2月の施政方針演説)を掲げてスタートした第2次政権の下、教育再生実行会議が14年7月の第5次提言で 「5歳児の義務教育化」を提言していたことを。

 第5次提言の「大方針」を受けて具体化を検討した中央教育審議会は結局、義務教育学校の創設など小中一貫教育の制度化でお茶を濁す。というより実行会議の提言で実現可能性のあるものは当時、これしかなかった。安倍首相も、これをもって「学制改革」だと胸を張っていた。

 第5次提言には、幼児教育の「段階的無償化」も盛り込まれていた。これもしばらく誰もが忘れていたが、17年9月に安倍首相が総選挙の大義名分として唐突に持ち出してから一気に実現した。

 無償化の建前は「全ての子供に質の高い幼児教育を保障するため」(第5次提言)だったはずだ。しかし量的な待機児童対策に追われ、教育・保育の質は二の次になっている。昨今の新型コロナ対策でも保育所を開けるかどうかで、政策の迷走ぶりは否めない。

 それでも幼児教育の質を重視しているというのなら、9月入学とセットで義務教育の前倒しを検討するという発想が出てこなければおかしい。なぜ出てこないのか。無償化で質保証は既に実現できたと思い込んでいるか、はなから無理だと諦めているからだろう。もしくは、本当に忘れているのかもしれない。

 既に無償化されているのだから、授業料に関して義務教育化への障害はない。しかし施設・設備や教員・保育士の配置に関する追加的な投資はもとより、実質的には幼稚園・保育所・認定こども園に3元化された幼児教育の本格的な「幼保一元化」の課題が再び突き付けられることになる。

 おそらく9月入学論も、どこかで引っ込めることになるのだろう。文部科学省は15日の衆院文教科学委員会で、小学校から高校までの子どもを持つ家庭の追加負担総額が2.5兆円に上るとの試算を明らかにした。国と地方にも相当の財政支出が求められるだろうし、中小企業も含めた新卒人材の確保に与える影響も大きい。知事会や経団連が前向きだからといって、簡単に社会的合意が得られるとは思えない。「社会改革」(小池百合子・東京都知事)には痛みも伴うはずだが、負担の押し付け合いで迷走するだけではないか。

 マッチポンプのようで恐縮だが、9月入学を検討するというなら義務教育年齢も本気で検討してみろと言いたい。そんな度胸がコロナで弱った政権にあるとも思えないが、もし打ち出せば起死回生の支持率回復策になるのではないか――と余計な提案をしておく。どうせ、できっこない。

 

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2020年5月 3日 (日)

9月入学検討 “アベノ休校”のツケを回すな

 9月入学に移行すべきだ、という議論が急浮上している。少なくない都府県知事の声にも押され、政府が官邸官僚の下に論点整理の作業に着手した。「前広(まえびろ)」のニュアンスは判然としないが、安倍晋三首相自身が前向きとの観測もある。

 まず確認しておこう。授業が遅れるきっかけを作った3月の全国一斉臨時休校措置要請という首相の「政治判断」は、明らかに間違いであった。控えめに言っても、勇み足だろう。

 政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は、3月19日の状況分析・提言で「学校の一斉休校だけを取り出し『まん延防止』に向けた定量的な効果を測定することは困難」との見方を示した。さらに、4月1日の状況分析・提言では「現時点の知見では、子どもは地域において感染拡大の役割をほとんど果たしてはいないと考えられている」とした。

 もっとも文部科学省は2月28日付の通知で、休校期間や形態について設置者の判断を妨げるものではないとしていた。この件では萩生田光一文部科学相も、まっとうな見識を示したと評価できよう。

 しかし実際には、3月16日時点で公立学校の99%が臨時休校に入っていた。教育行政の執行機関である教育委員会だけでなく首長の強い意向があったのも確かで、記者会見で自ら「指示した」と公言する首長さえ続出した。勘違いも甚だしい。

 そうした流れを積極的に作ったのが、都道府県立学校に関する全国の知事だった。いわば自らの「政治判断」で、アベノマスクならぬ“アベノ休校”に便乗したのだ。あげく3月24日に文科省が再開要件を示しても、ずるずると再開できずに政府の緊急事態宣言を迎えた。4月16日現在でも、公立学校の93%が休校している。

 そんな知事たちが、いま「9月入学」を言い始めている。3カ月もの間ほとんど授業をできなくしたのは、自らの責任であるという自覚はあるのか。ましてや「社会改革」だの「グローバルスタンダード」だのと正当化するのは、見当違いも甚だしい。

 もちろん学校現場にも、授業時数確保策を求める声はある。ただし『教育新聞』電子版の読者投票「Eduvate」でも、賛否は拮抗(きっこう)している(3日8時現在)。

 社会改革を言うのなら、例えば教育分野なら学生が大学を辞めないよう高等教育への公的投資を大幅に増やして国立大学運営交付金や私学助成金を増額するとか、オンライン授業を促進するため国が責任を持って1人1台持ち帰り端末と家庭も含めた高速通信環境を保障するとか、すぐにでも進めるべき大胆な改革は幾らでもある。責任転嫁で改革者気取りをするのだけは、勘弁してほしい。

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2020年3月 4日 (水)

コロナもGIGAも“教育第一”ではない安倍政権

 安倍晋三首相が突然、春休みまでの全校一斉臨時休業を要請してから1週間がたつ。その間、感染拡大防止に重要な「ここ1、2週間」を超えた休業期間を設定した理由も、「設置者において様々な工夫」(萩生田光一文部科学相)を容認した文部科学省方針との整合性にも、保育所や学童保育には開所を求めた矛盾についても、首相の口から明確な説明は聞かれない。

 安倍首相は「政治決断」を強調する。本当に全国一律に休業を要請する必要があったかは、今後の検証に待たねばならない。常に「政治は結果」を強調する安倍首相である。ぜひ結果について、政治責任を取ってもらいたい。「引き続き全力を挙げて取り組むことで責任を果たす」などというごまかしは、もう聞きたくない。

 それにしても、年度末の残りの教育活動を打ち切らざるを得なくなった多くの学校現場は大混乱だ。「教育再生」を最重要課題の一つに掲げ、「世界トップレベルの学力」を目指すとしている内閣のすることとは、とても理解できない。

 2月29日の記者会見では一応、「今回の急な対応に全力を尽くしてくださっている自治体や教育現場の皆さんにも感謝申し上げます」とは述べていた。しかし事前に安倍首相が現場に与える影響を考慮した形跡は一切ない。

 結局、安倍首相にとって教育など二の次なのだろう。第1次政権で「機能不全」(2007年1月の教育再生会議第1次報告)と呼んだ状態の「再生」さえできれば、後はどうなっても構わない。既に「教育再生」は果たしたのだから、これ以上のてこ入れは必要なく「実行」さえチェックすればいい――と思っている節さえある。

 19年度補正予算で文科省が打ち出した「GIGAスクール構想」にしても、そうだ。これまで地方交付税任せで大きな自治体・学校間格差が開いていたICT(情報通信技術)環境整備について、初年度分として2318億円もの補助金を計上して国公私を問わず整備を進めようというのは確かに画期的なことである。しかし同構想が最初「安心と成長の未来を拓(ひら)く総合経済対策」(12月5日)で経済産業省や総務省などの施策と抱き合わせで登場したことに、すべてが象徴されている。

 結局、多額の予算を要するような文教施策は政府全体の総合的な戦略との抱き合わせ、ないし経産官僚の息がかかった官邸の意向にかなう範囲内でしか実現しないのだろう。これでは多忙化で疲弊し切った現場を本当の意味で再生する抜本的な教職員定数改善など、いつまでたっても行えまい。

 人工知能(AI)やビッグデータなどのテクノロジーを教育分野に活用するEdTech(エドテック) をめぐっては、国立教育政策研究所が19年度から3年計画で「高度情報技術の進展に応じた教育革新に関する研究プロジェクト」を進行している。2月3日にフェイズ1シンポジウムが開催されたのだが、その中で事例紹介したケン・ロス米ミネルバ大学マネジング・ディレクターの演題に「Education first, technology second」という副題が付いていた。新しいテクノロジーでできることをエデュケーションに取り入れるのではなく、あくまで理想とするエデュケーションの実現のためにテクノロジーを援用すべきだ、という戒めである。

 これを裏返せば、安倍政権ではすべからく「エデュケーション・セカンド」の政策展開が行われていると評すべきだろう。幼児教育・保育の無償化や「真に必要な子ども」に限定された高等教育の無償化も、幼児期の教育や高等教育の「機関」を充実させる発想ではない。とりわけ高等教育機関に対しては無償化を踏み絵に、実務家教員による一定の実践的教育など疑問符の付くような「改革」まで迫っている。

 いかにも小ざかしい官邸官僚が机上で構想したような政策が次々と実現していき、しわ寄せは担当省庁や現場に付け回される。いったい安倍政権は、何ファーストなのだろうか。東京五輪・パラリンピック成功後の改憲、という憶測はあながち外れていまい。それも新型コロナウイルス感染の広がりによる世界同時株安で経済の先行きに暗雲が立ち込めているというのに、「引き続き景気は緩やかに回復している」と澄ます姿勢が改まる兆しは一向にない。

 

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2020年2月 8日 (土)

大学入試検討会議 歴代文科相のヒアリングを

 文部科学省の「大学入試のあり方に関する検討会議」が7日、第2回会合を開催した。まずは経緯の検証ということで、英語と記述式の別に報告書が示された。12人もの外部弁護士が協力したという詳細なものだ。

 ただ、これには大きな限界がある。「議事録や報告書等から整理した」(各報告書)ということだ。もっとも会議の間や背景に何があったのか、ますます疑念を浮かび上がらせることができると評価することもできよう。

 実際に議論でも、まず益戸正樹・UiPath特別顧問が民間企業人の立場から「どうも結論が先にありきで、20年度というターゲットイヤーに縛られすぎていたのではないか」と口火を切った。それに続いて末冨芳・日大教授が、必ずしも英語民間活用に積極的ではなかった高大システム改革会議最終報告の2016年3月から8月までに積極的な流れが形作られたことを指摘。検討組織体が位置付けられない中の5カ月間にどのような意思決定がなされたことをただした。

 これに対して文科省事務局は、「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(14年12~17年9月)と「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)検討・準備グループ」(16年5月~、現「大学入学共通テスト」検討・準備グループ)で流れができたと説明した。

 しかし、事務方の説明を素直に聞くことはできない。その間、まさに省内でどういう「意思決定」と指示があったかこそが問われなければならないだろう。審議会は行政の「隠れみの」とも言われる通り、資料提出や進行・質疑応答、裏表の調整で役人がいかようにもコントロールできる。今回の一件も議事録や報告書等の「表」を見るだけでなく、まさに「裏」で何があったかを解明しなくてはならない。

 となれば、話は簡単だ。第2次安倍政権の発足から文部科学相(12年12月~15年10月) として強力に英語教育や入試改革を推し進めた下村博文氏や、「5カ月」の間に文科相(15年10月~16年8月)を務めた馳浩氏に問いただせばよい。14年7月から文部科学審議官、16年6月から文部科学次官を務めていた前川喜平氏を呼ぶのも一興である。

 第2次政権以降、政務三役主導の文科行政が進行したことは明らかだ。ならばその「責任」は、政治が負わなければならない。しかし萩生田光一・現文部科学相は、この日の会合でも中座前に「課題があるまま進んでしまったのは、もしかすると大きな課題は文科省そのものの体質にもあったかなと自分自身の反省を含めて思う」と述べた。まるで「職員」に判断ミスがあったかのような口ぶりである。

 重ねていうが、二つの柱の見送りでますます現場の混迷を深めたのは萩生田文科相の「責任」である。どうも安倍政権は国民の理解を得るまで何度も何度も同じ説明を繰り返し、しれっと次の改善に移すのが「責任」だと思っているふしがある。これでは役人の士気が下がって当然だろう。

 というより政治に屈した思考停止や政府方針の忖度(そんたく)の中でしか政策を考えられず、ねじ曲げられた文教行政が定着してしまうことを恐れる。純粋に教育の在り方を考えようとする古き良き文科省の体質を回復させることこそが、教育界のためにも国民・住民のためにも必要だ。

 国会で追及が続いている「桜」問題も、決してさまつな話ではなく現政権と行政運営の在り方を問うものだろう。検討会議でも、そうした本質を突き詰めるよう委員の一層の奮起を求めたい。
 

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2020年1月18日 (土)

大学入試検討会議 看過できない文科相発言

  最後の大学入試センター試験を直前に控えた15日、「大学入試のあり方に関する検討会議」が初会合を開催した。「大学入試のあり方」に対しては、改めて論じたい。ここでは、あまり報道されないだろうし議事録の公開も遅れるだろうが看過できない発言があったので、長文になるが起こしておく。開始から約1時間過ぎ、公務のため退席する際に行った萩生田光一文科相の発言である。

 みなさん本当に忙しい中ありがとうございます。これからまだ議論が続けていただけるかと思います。率直な、さまざまなご意見をいただきたいというふうに思います。私もこの二つの制度を立ち止まるに当たっては、一部報道なんかでは何か「政権の支持率を憂して」みたいなことを言われましたけど、そんなふうじゃなくて、本当に局の皆さんとも夜な夜な本当に真剣な議論をし、また多くの皆さんの声を聴いて、最終決断をしました。今まで積み上げてきていただいた多くの皆さんのご苦労があるわけですし、これは少なからず国民の皆さんの税金を使わせてもらってさまざまな制度設計してるわけですから、やめるということも大きな責任があるという、そういう判断の下で最終決断をしました。従って、やり直しをするに当たってですね、洋服の上から書くような議論をしたんではならないんだと思ってます。ぜひ、きょう選ばれた委員の先生方は、過去の議論に参加をしていただいた先生方もいらっしゃいます。それから、外からさまざまな問題提起をしていただいた先生方もいらっしゃいます。また、今回のこの問題が発生して、さまざまなアドバイスいただいた先生方もいらっしゃいます。それぞれ実はもうお立場がある皆さんですから、会議原則公開は私、大いに結構なんですけれど、しかし検証の事になりますとね、あの時に私が気付いたことは、実は野党の皆さんが国会で指摘をしました。野党の皆さんが指摘をしたことは、後ほど議事録を見ると、専門家の先生たちも問題提起をしていたり、外からのさまざまな提言もあったりするわけですよ。なのに、なぜここまで来てしまったのかっていうのは私は当時、不思議でならなかったんです。この平場でですね、メディアの皆さんの前で、例えば文科省の批判をするとかですね、他の委員の皆さんの発言に対して意見具申するっていうのは結構大変なことだと思うんで、決して目を隠すつもりはありませんけれども、どこかでは1回ちょっと雰囲気の悪い会議をやってもらったらいいんじゃないかと。一度はクローズでぜひ、そんなこともやっていただいて、後ほど議事録を出していただくということを1回やっていただいたらいかがかな、と思ってます。これ以上後退するわけにはいきませんので、「あの時、足を止めて皆さんで話し合って本当にいい制度になった。子どもたちも前向きに大学受験を目指すことができるようになった」と思ってもらえるような制度を作るために、ぜひ先生方の力をお借りしたいと思いますので、ぜひ闊達なご議論を賜りますよう、お願いをしたいと思います。併せて、文科省側もいろいろ思いはあるんでしょうけど、ここはもうすべてオープンにして、皆さんにさらしてですね、話をしていただきたいなと思うんです。例えばね、さっきセンター試験の説明の中で「私立大学や短大が、約700校がセンター試験を利用してます」って、こういう報告がありました。普通の人はそう思うわけですよ。だけど、これは入試の要するに700校っていうけれど、700校のうちのA大学の1学部の1学科のほんの一部が使ったって1校ってカウントしているわけですよね。ですから結果として、いわゆる選抜区分で割り戻したら何のことはない、3割の大学しか最初から使う予定がありませんでしたって。そして、あれだけですね、「4技能が大切だ。記述式も大切だ」って、大学や大学関係者、会う人すべてが私に言ってくれました。だけど文科省が共通テストでやめたからといって自力でやるっていう学校は、これしかないわけじゃないですか。本当に大事だと思ったら、なぜやらないのか私は不思議でしょうがない、わけですぅ。ですから、そういうことも含めて、数字は変なマジックは要りませんから、もう裸の数字を出していただいて、先生方にさまざまな議論をしていただく準備をしてもらいたいなと思います。「共通テストは700校の私立が使ってます」って言ったらそう思うけれど、そんなことはないわけですよ。700校の、ごく一部の学部の人たちが利用してるだけであって、圧倒的、国公立の大学の受験システムであることは、今の段階では否めないわけです。じゃあここに本当に私立の皆さんの思いっていうものを付加していくことが可能なのかどうなのかっていうことは、これから含めて考えていかなくちゃならないんで、数字はね、格好付けなくていいですから正しく示していただいて。また先生方にも繰り返しになりますけれども、どうぞ忌憚のないご意見をいただいて、ご批判も真摯に受けたいと思いますので、これから約1年間、長い時間になりますけれども、よろしくお願い申し上げて、今日は中座をお許しいただきたいと思います。以上です。

  もちろん約1時間の説明や議論を受けての発言なので、文脈が分からないと理解できない部分はあるだろう。しかし、ずっと傍聴していても、また改めて文字に起こしていても、何を言っているのか理解に苦しむ。「クローズ」については17日の定例会見でもクラブ記者に追及されていたので、ここでは論じない。

 推測すれば、過去の経緯については文科省や検討に参加した委員が悪かった、ということなのだろう。 それにしても政権の中枢を担ってきた者として、さらには文教族であり文科省通を自負しているらしい者として当事者意識の無さには、あきれ返るばかりだ。

 おそらく大臣は、本気でそう思っているのかもしれない。だとすれば、そのような認識で二つの見送りを判断したことになる。どこが「真剣な議論」の上での「最終決断」か。「『あの時、足を止めて皆さんで話し合って本当にいい制度になった。子どもたちも前向きに大学受験を目指すことができるようになった』と思ってもらえるような制度を作る」などと、どの口が言うのだろう。

 大臣の意向すら判然としない中では、これからの会議がどう進んでいくのか現段階ではさっぱり見通せない。個別試験との「役割分担」が落としどころになるのだろうが、 新課程入試の2年前予告に間に合わせるため1年間と検討期間を区切ったのも期待できない一因である。

 もちろん萩生田氏が検討会議の最後まで大臣を務め上げる保証もないから、途中で潮目が変わる可能性もなくはない。しかし、どちらにしても現段階では疑念や不安ばかりが募る検討会議の今後である。

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2019年12月 8日 (日)

PISAの「低下」 安倍政権の責任も大きい

 3日に発表されたPISA(経済協力開発機構=OECD=の「生徒の学習到達度調査」)2018の結果について、各紙が1面トップなどで大きく取り上げた。今回の中心分野となった読解力が、得点も順位も大きく下がったからだ。文部科学省も発表資料で、統計的に有意に低下したことを認めている。

 ささやかな疑問が幾つかある。一つは、数学的リテラシーと科学的リテラシーを「引き続き世界トップレベル」と片付けていることだ。しかしOECD当局のカントリーノート(国別概要)を見ると、「読解力と科学的リテラシーについては、最近の傾向として明らかに低下した」と、科学的リテラシーの平均得点についても統計的に有意な低下を認めている。数学的リテラシーに関しても、「一見して明らかな安定」により見えにくくなっているが「習熟度上位層の得点は低下傾向にあった」と指摘している。

 読解力については、OECDの分析を紹介する形で「長期トレンド」としては統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプだとしている。確かに当局が今回そう紹介しているのだから、その通りではある。しかし、待ってほしい。文科省はPISA03が発表された段階で文科省は、既に「世界トップレベルとは言えない状況」と言っていたではないか。しかも06と続く低迷を経て09以降は「V字回復した」というストーリーまで付けて。

 PISA03の結果が発表された04年末は、依然として「ゆとり教育」批判が冷めやらぬ時期だった。既に学力向上路線にかじを切っていたにもかかわらず文科省が公式に「学力低下」を認めたことで、「ゆとり教育を反省して改めた」という“誤解”を広げた。もちろん省内にも誤解を広げるような言動をしていた者がいたのだろうが、一方で非公式スポークスマンにとどまらず「ゆとり教育」は修正されていないと認識している者は、当時の幹部の中にさえ少なくなかった。

 「ゆとり教育」論は過去にさんざん論じたし今回の本論ではないので繰り返さないが、要するに文科省はご都合主義でデータの解釈を示す可能性が大いにあるということだ。表向きは「エビデンス(客観的な証拠)に基づく教育政策」とうたっているが、むしろ現実には政権への忖度(そんたく)を優先していることは周知の通りだろう。永田町を通して世論が表れている、などという珍奇な論理も勘弁してほしい。

 一方、OECD当局の「エビデンスに基づく」指摘と併せて考えれば、相当な危機だと深刻に受け止めるべきだろう。確かにアンドレアス・シュライヒャー局長は、日本向けのインターネット記者会見で「学習指導要領の改訂は正しい方向に向かっている」と楽観視している姿勢を示した。これも誰かがそう注進しているからだろうが、国内的に見れば指導要領の理念の実現自体が決して楽観視できる状況にはない。

 後出しジャンケンで恐縮だが、本社は今回のPISAで日本の結果は低下するだろうと予想していた。上がる要素がないからである。そもそも前回のPISA15の結果発表自体、おかしかった。低下傾向が現れたことに、もっと危機感を持った分析と発表をすべきではなかったか。そうしなかった理由は明白だ。指導要領改訂の中央教育審議会答申を直前に控えていたからである。多くのマスコミも文科省発表を素直に受け止めて、そう問題視しなかった。

 そんな程度なら、今に始まったことではない。役人の常でもある。もっと重大なのは、12年をピークにして少なくとも読解力が低下傾向に入ったということだ。何が言いたいか。12年末に、政権交代があったことである。

 安倍晋三首相は「民主党政権に比べて良くなった」と自らの成果を強調することを常としている。しかし第2次安倍政権以降、PISAの少なくとも読解力は明らかに低下したではないか。「世界トップレベルの学力」を政権の重要課題として掲げ続けているのに、である。

 理由は明らかだろう。安倍政権はこの間、学校現場を良くする条件整備に本気で取り組んでこなかった。「なんちゃって教職員定数改善計画」も含めて、だ。スローガンだけの無策で、後は現場の努力に丸投げしてきた。その帰結が、多くが過労死ラインを越えて働く教職員の過酷な勤務実態ではなかったか。「学校の働き方改革」にも政権の無策ぶりが発揮され、文科省の対策も基本的には3年後の勤務実態調査に先送りされる極めて限界のあるものにとどまった。教職給与特別法(給特法)の改正が批判されているが、改正給特法だけが悪いわけではない。文科省がどうでもいい改革しか提示できなかったことをこそ問題視すべきだ。

 もちろんPISA型読解力の低下には、いろいろな要因があるのも確かだ。しかしICT(情報通信技術)機器の整備ひとつ取っても、政権の無策さが招いた結果と言っても過言ではない。とりわけ「世界トップレベル」を掲げ、かつSociety5.0への対応に執心している政権である。なぜ、トップを維持するコストに関心が向かなかったのか。

 少なくとも読解力だけは「世界トップレベル」でなくなったことに、政権としても深刻な反省をしなければなるまい。だからこそ今回は、年末に向けて深刻に受け止め予算編成に反映させるのがエビデンス・ベースというものだろう。よもや第1次政権のように「教育界」にダメ出ししたり、不祥事続きの文科省に責任を押し付けたりはすまい。「平静」を装って柔らかい言葉遣いで実質は恫喝まがいの姿勢を取ることも、同様である。

 

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2019年11月16日 (土)

混迷する大学入試改革 「高大接続」の再議論から

 英語4技能評価のために民間資格・検定試験を活用する「大学入試英語成績提供システム」が異例の見送りとなって以降も、大学入学共通テストの国語と数学への記述式問題導入をめぐって批判が続いている。

 まず確認しておこう。2016年3月の高大接続システム改革会議は「記述式問題や英語の多技能を評価する」新たな枠組みが提供されれば「教科の知識に偏重した1点刻みの評価の改革という点については大きく改善される」という論理で、中央教育審議会の高大接続改革答申(14年11月)が提言していた年複数回実施を見送っていたことを。英語4技能評価のみならず記述式まで見送られたら、今般の入試改革の前提が崩れてしまう。

 ここで本社は、記述式を断固導入すべきだと主張したいのではない。そもそも「入試改革」論議の在り方が間違っていた、ということだ。

 改めて原点に戻りたい。高大接続改革は、大学教育、高校教育、そして「大学入学者選抜」を一体で改革するものである。先の答申では、「既存の『大学入試』と『公平性』に関する意識を改革し…多様な背景を持つ一人ひとりが、高等学校までに積み上げてきた多様な力を、多様な方法で『公正』に評価し選抜するという意識に立たなければならない」と指摘していた。これこそが本来、「入試改革」の先にあるべき「大学入学者選抜改革」のあらゆる出発点であらねばならなかった。

 しかし議論の場がシステム会議に移ると、なぜか文部科学省事務局自体が「公平」な「入試」にこだわり出した。英語民間検定活用の制度設計が、その典型だ。本社はCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を「入学者選抜」に導入すべきではないという意見を支持しないが、「1点刻み」の「入試」に適用できないことは当然のことだ。異なる検定を活用する以上、それを個別大学が利用するには多元的な評価が必然的に求められる。それだけの改革なはずなのに「入試」に拘泥することで、文科省は自ら墓穴を掘ってしまった――というのが今般の混迷の主因だろう。

 萩生田光一文部科学相は自らの下に検討会議を設け、新教育課程に対応する2024年実施の「入試」に向け英語4技能の仕組みについて1年かけて結論を出したいと表明した。2年前ルールで22年度に予告するにしても、あと2年以上の猶予ができる。そうであれば、今こそ高大接続改革論議をやり直す時だ。

 その際、戻るべきは不可解な進め方をしたシステム会議ではなく、あくまで中教審答申だろう。あの時までに行った議論をきちんと整理すれば、そう時間を要することもなかろう――あくまで「きちんと」の話であるが。

 ちなみに本社は、10年9月に文科省委託で北海道大学がまとめた「高大接続テスト」構想に戻るのが一番いいと思っている。共通テストの作問作業も生かしつつ思考力・判断力を重視した出題とし、追・再試験を2回目のテストとして実施すれば複数回受験も実現できる。

 英語4技能に関しては、あくまで高校が判定したCEFRの段階別評価を信頼する。それが「高校教育改革」からいっても筋だろう。高校現場に評価の自信がないというなら、民間検定を援用してもいい。受検を奨励すれば、活用が見送られた実施団体に対するせめてもの救済策になろう。実際に受検を促している自治体や学校は少なくないし、何より「学びの基礎診断」という枠組みがあるではないか。

 そんな妄想はさておき、いま検討すべきは弥縫(びぼう)策ではない。大学教育、高校教育、入学者選抜を本当の意味で一体的に改革する高大接続の理念に立ち返って、見直しを行うことである。

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2019年11月 5日 (火)

萩生田文科相 自らの責任取って辞任を

 萩生田光一文部科学相が、大学入学共通テストに伴う英語民間試験活用のための「大学入試英語成績提供システム」導入を見送ることを決めた。記者会見では「私の下に検討会議を作」って1年かけて結論を出したい考えを示したが、今回の見送り決断だけでも辞任に値する。今後の検討は後進に譲るべきだ。

 萩生田文科相は9月の就任直後から、初年度は「精度向上期間」と位置付けて予定通りの実施を表明していたはずだ。この「精度」という言い回し自体が物議をかもすのだが、それはおいておこう。確かに民間試験活用の制度設計が欠陥だらけであることは就任以前の問題である。

 それでも認定試験の受検開始まで半年を切り、しかも共通ID申し込み開始の当日になっての見送り決定は混乱に拍車を掛けるだけにすぎない。言い回しは別としても精度の低い制度をソフトランディングさせる方策は、いくらでもあったはずだ。

 例えば大学の判断で認定試験を受検しなかった者ができるだけ不利にならないよう合否判定で定員を分割するなどの配慮を要請することも、大学入試があくまで大学が主体となって行うものであれば十二分に考えられよう。本社もそう主張しようと機をうかがっていた。

 そもそも混乱に火が付いた背景には、文科相の言い回しにあったことは明らかだ。「精度」もそうだが、「身の丈」発言もそうだ。萩生田氏が本当に格差を容認する思想を持っているかどうかは別にしても、こういう不用意な言い回しをすること自体が文科相としての資質を疑うに値する。

 何より「身の丈」発言が、世間ばかりか政界の反発を招き制度見送りを余儀なくされた決定的要因だったことを確認しておこう。それがなければ、ソフトランディングの余地もまだあったのではないか。

 萩生田氏はもともと加計学園問題などで文科相に充ててよいのか疑義を向けられていた人物だ。就任会見でも、それまでの姿勢に反省のそぶりは見せなかった。首相最側近だけあって、言い回しも姿勢も政権の在り方を象徴していよう。

 いっそう気持ちが悪いのは、自民党の世耕弘成参院幹事長が萩生田文科相の判断を「受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断だと思っており、高く評価したい」と述べたことだ。この人は国会でも安倍首相をヨイショしていたが、いつまでもお友達だけで褒め合っていては批判にきちんと耳を傾けることもなかろう。

 安倍首相は萩生田氏を絶対に守ろうとするだろう。内閣改造後3人目を出したくないというだけでなく、彼自身が思想を同じくする盟友だからだ。内閣支持率の安定が、そんな姿勢を助長してきた。国民が、内閣の尊大な姿勢やゆがめられた行政運営を許してきたとも言える。今回の怒りを、受験生や高校関係者だけにとどめてはいけない。

 問題は英語試験活用にとどまらない。萩生田文科相の下で、さらなる行政のゆがみが生み出される恐れもある。文部科学省は旧文部省以来、一貫して資質は育成可能との立場を取っているが、いい大人の、しかも政治家の、ましてや大臣の資質に向上に期待するだけむなしい。一刻も早い退任を期待する。

 

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