社説

2025年1月 5日 (日)

教職員諮問 開放制原則も「根本」から疑え

 昨年12月25日の中央教育審議会総会に諮問された2本目は「多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について」。諮問文だけでは分かりにくいが、要するに教員養成・採用・研修の一体的改革だ。それ自体は不可欠であり、歓迎したい。しかし評価できるのは、学習指導要領の改訂と併せて諮問したということだけである。

 諮問文の分かりにくさ自体が、現下の教員改革の混迷を示していよう。諮問理由も、二つの点で前提が間違っている気がしてならない。

 一つ目は、「令和4年答申で示された改革の方向性にのっとり」としている点だ。新型コロナウイルス禍を踏まえた初等中等教育の在り方を提言した2021(令和3)年1月の「令和答申」を起点とするのは、まだいい。しかし教員免許更新制の廃止を契機とした22(同4)年12月の答申、さらには教員給与特別措置法(給特法)の扱いが注目された24(同6)年8月の答申という流れを示した上で「多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成」を求めた22年答申に立ち戻るという論理構成を取っている。

 そもそも22年答申自体が更新制の「発展的解消」という、いびつな前提でまとめられたものだ。その上、中途半端に進行中だった「学校の働き方改革」や定義が不十分な「教師不足」の課題もごったにして▽「新たな教師の学びの姿」の実現▽多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成――という2題話を一体にして提言した。提言自体が混迷していたのだから、「改革が現在進行中」(諮問概要)なのも当然だ。

 今も無謬(むびゅう)性の原則を維持する行政の悪癖が出た、と言うべきだろう。改めてこれまでの教員改革が間違っていた、あるいは不十分であったことを認めるところから出発すべきだ。

 もう一つの「前提」にも、あえて苦言を呈したい、諮問理由の本文を読むと、先の3答申の流れに続けて▽大学における教員養成▽開放制の教員養成――という二つの原則が今も「積極的な意義を有している」と評価している。前者は、まだいい。大学院も含めた「大学」での養成原則は、今後も堅持すべきだ。ただ、現下の教員不足は開放制原則の揺らぎであるという現状認識に欠けている。

 諮問理由では「より多くの学生が教員免許の取得を目指したり、教職生涯を通じて能力向上への意欲を喚起したりするような教員免許制度の在り方」を求めている。ここには二つの矛盾した要求が混在していることを、どこまで認識しているのだろうか。

 広く免許取得を促すということは、日本教育新聞が12月2日付1面トップでスクープしたように「教職単位、大幅削減を検討」するということだろう。当然、免許保持者の質は低下する。そうなれば採用決定段階から「教職生涯を通じて能力向上」する方策とセットでなければ、必然的に初任者の質が低いまま教壇に立たせることになる。「意欲を喚起」などという悠長な話ではない。

 そんな中に「多様な専門性や背景を有する社会人等が教職へ参入しやすくなるような制度」を求めているのは、いまだに教職に幻想を抱いている社会人に対する詐欺だと言ったら言い過ぎだろうか。理想と現実の矛盾に「素人」を巻き込んだところで、質の高い教職員集団など形成できようもない。

 開放制原則を堅持するのはいいとして、まずは社会人も含めて「多様」な学び手を厳しく選抜して教職課程の受講を優遇するところから全ての改革が始まろう。教育委員会は教職課程にも参画し、免許取得後は無試験で採用する。給費制を採るのも一考だ。さらに採用後の研修も、職務とは別に十分保障される必要がある。教職大学院にてこ入れしたいなら、「教職生涯」の中で必修化すればいい。そこまでしてこそ、一体的改革の名に値しよう。

 「教職員集団」にも、課題が山積している。スクールカウンセラー(SC)  の雇い止めや、学校司書の会計年度任用が常態化するなど雇用が不安定な状況で「チーム学校」の質を上げることなどできない。そもそも立ち返って反省すべきは、前回改訂(現行指導要領)審議中に出された15年12月の答申ではないか。

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2025年1月 3日 (金)

指導要領の改訂審議スタート〈下〉 「道半ば」より「未完成」から

 学習指導要領の改訂諮問は「世界に冠たる我が国の初等中等教育は、質の高い教師の努力と熱意に支えられ、大きな成果を上げ続けています」とする一方で「全体としては、現行学習指導要領の理念や趣旨の浸透は道半ばです」との認識を示している。

 本当に「浸透」の問題なのか。むしろ前回改訂(現行指導要領)が「ゆとり教育批判」を恐れるあまり、中途半端になってしまったと捉えるべきだろう。

 典型が、資質・能力だ。前回改訂の準備作業を担った「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」(いわゆる安彦検討会)論点整理は「主体性・自律性に関わる力」「対人関係能力」「課題解決力」「学びに向かう力」「情報活用能力」「グローバル化に対応する力」「持続可能な社会づくりに関わる実践力」などを重視するよう求め、教育目標・内容も▽教科等を横断する汎用的なスキル(コンピテンシー)等に関わるもの▽教科等の本質に関わるもの(教科等ならではの見方・考え方など)▽教科等に固有の知識や個別スキルに関するもの――で整理するよう求めた。

 しかし実際に打ち出された資質・能力の三つの柱は、学力の3要素に「寄せた」ものだった。そのため、学力観の「転換」にも気付かれにくかった。汎用的スキルは「学習の基盤となる資質・能力」と位置付けられるなど、安彦検討会の論点整理はつまみ食いされた格好だ。

 しかも「教育内容の削減は行わない」という方針を早々に確定し、内容の一つ一つを三つの柱に分けて位置付けたため指導要領は肥大化した。「初任者にも分かるように説明した」というが、むしろベテランでも扱いづらいものになったと反省すべきだろう。結果的にカリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)を助長し、多忙化の一因ともなったことも否めない。

 そもそも諮問で「分かりやすく、使いやすい学習指導要領の在り方」を検討するよう求めているということは、現行指導要領が分かりにくく、使いにくいことを認めているに等しい。それを「浸透」の問題として現場に転化するのは、「解像度」を上げるとした学校の働き方改革と同じで無責任のそしりを免れない。

 「一度の改訂では、やり切れないこともある」――。現行指導要領の評価を巡って、複数の教育課程関係者から聞いた言葉だ。しかし10年に一度でさえ長すぎるのに、20年かけては時代の進展に取り残される。何より不幸なのは、不完全なカリキュラムで教育を受けた子どもたちだ。改訂スパンが長いのなら、途中でも現場が自走できる教育課程の基準を模索すべきである。

 2025年は、昭和100年に当たる。国際的な混迷状況は、まさに「戦間期」の様相を呈している。技術の進展は「生成AIが飛躍的に発展する状況」さえ超えていくかもしれない。少なくとも現下の「デジタル化の負の側面」は、社会全体の危機ともなっている。

 文字通りVUCA(不安定、不確実、複雑、曖昧)の時代を生きる子どもたちに、どのような資質・能力を身に付けさせる必要があるのか。そのための授業や教育環境は、どうあるべきか。時に理想の教育の阻害要因ともなる受験態勢は、今のままでいいのか。そして、それを実現するための教育条件整備はどうあるべきか――。これらの課題を徹底検証した上で、最良の指導要領を完成するよう腐心して初めて「『令和の日本型学校教育』を持続可能な形で継承・発展させること」につながろう。

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2025年1月 2日 (木)

指導要領の改訂審議スタート〈中〉 知識見直しの「地雷」を正々堂々と問え


 授業時間の削減には踏み込まなかった。これで教員の負担が減らせるのか―。先月25日の中教審諮問は一般に、そんな疑念を持って受け止められている。日刊紙報道だけ読めば、当然そうなる。

 教育関係者なら諮問理由自体を読めば、重要な一文に気付くだろう。「個別の知識の集積に止まらない概念としての習得や深い意味理解を促す」という部分だ。

 審議の「資料」である「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(いわゆる天笠検討会)論点整理の「個別的知識及び技能と概念的知識・方略の関係性をより整理すべき」だという指摘を思い起こそう。ここでは個別的知識・技能と概念的知識・方略を、明確に分けている。

 個別的知識は身に付けさえすれば自在に活用できる「転移可能」な知識になるとは限らず、概念的知識にまで高めることが不可欠だ。というより概念的知識こそ重視すべきであり、極論すれば個別的知識は「イグザンプル(例)」(奈須正裕・上智大学教授)にすぎなくなる。

 さらに続く「各教科等の中核的な概念等を中心とした、目標・内容の一層分かりやすい構造化」にも注目する必要がある。目標・内容を、概念を中心にして構造化するというのだから。

 しかも、それが「カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)」を解消し「余白」をも生み出す決定打になると言ったらどうだろう。さらには「教科書の内容や分量」の精選にも関連してこよう。そうなると授業の在り方は根本的に見直さざるを得なくなるし、児童生徒にとって「知識」丸覚えの勉強は通用しなくなる。

 もっとも概念は「見方・考え方」を敷衍(ふえん)したものと位置付けられるだろうから、現行指導要領とそう大きくは変わらないと受け止められるかもしれない。

 現行学習指導要領も「学力」から「資質・能力」へと、学力観の大きな転換を図ったはずだった。ただし三つがあまりにも似ていた、というより資質・能力の三つの柱を学力の3要素に「寄せた」ため、現場にはそういう印象が薄かった。というより2016年答申当時、文部科学省自身が「ゆとり教育批判」の再燃を恐れて「転換」という印象を与えないよう腐心した形跡さえあった。

 今回も、慎重な言い回しが目立つ。しかしイノベーション(革新)が求められる現在、今さら「イソップの言葉」でもあるまい。仕掛けた地雷が暴発して炎上する前に「生成AIが飛躍的に発展する状況の下」での知識の在り方を、正々堂々と世に問うべきだ。

 本社は『英語教育』(大修館書店)1月号の第1特集「次のカリキュラム(学習指導要領)に望むこと 先取りパブリック・コメント」への配信記事で「死んだ『知識』より、使える『概念』を」というキャッチフレーズを提案した。「死んだ知識より、生かせる概念を」の方がよかったかもしれない。

 三つの柱と「学習の基盤となる資質・能力」の関係も、見直すべきだ。もっと後者に移行して充実させ、前者をスリム化するべきだろう。要するに、前回改訂時の「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」(いわゆる安彦検討会)論点整理の考え方に立ち戻ることである。

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2025年1月 1日 (水)

指導要領の改訂審議スタート〈上〉 超「資料」基に現場参画で徹底議論を

 昨年12月25日に開催された中央教育審議会総会に、中国出張中だった阿部俊子・文部科学相の臨時代理「国務大臣 中根順子」(三原じゅん子・こども家庭相)名で2本の諮問があった。教育課程の基準の在り方▽「質の高い教職員集団」形成の方策――だが、前者の諮問理由の最後にある「教育課程の実施に必要となる条件整備」も数えれば実質3本だ。

 2025年から、学習指導要領の改訂をはじめとした初等中等教育改革の大論議が本格化しよう。教育現場も、この機会を逃してはならない。

 開会と同時に公開された諮問理由文を一読して、驚いた。「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(いわゆる天笠検討会)論点整理の内容が、想像以上に反映されていたことだ。これはもう「資料」の域を超えている。

 同検討会委員の多くが「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」(学校教育特別部会)をはじめとした中教審の部会等と共通していることは、論点整理が指摘する通りだ。これら会議体は、委員という個人単位で認識を共有してきた。

 裏を返せば、政策的には必ずしも整合性が取られていないということでもある。しかも9月の天笠検討会論点整理にせよ12月24日付で正式決定した学校教育特別部会「義務教育の在り方ワーキンググループ(WG)」審議まとめにせよ、年末諮問のスケジュールに間に合わせるため急いでまとめた感がある。要するに、生煮えだ。

 もちろん一部の主要委員にとって、次期改訂の布石となる必要な提言は盛り込めたに違いない。どういうことかは今後、審議が進むにつれ明らかとなろう。その点が、前回改訂(現行指導要領)とは違う。

 ただ一部報道で授業時間の「5分短縮」ばかりがクローズアップされるように、諮問の真意が必ずしも正しく理解されているとは限らない。一方で、なかなか気付かれにくい「地雷」も仕掛けられている。

 どちらにしても現場による諮問の「主体的」読みがなければ、改訂論議に建設的な参画などできない。本気で「教育課程の実施に伴う負担」を軽減させたいと思うなら、なおさらだ。

 諮問に先立つ24日、子どもに意見を聞いて改訂に反映させる方針を出張前の阿部文科相が表明した。それ自体は結構な話だし、子どもを主語にするという既定路線とも整合する。ただ、それ以上に現場の声を聴くことも重要である。

 今回の諮問は、ある意味で未完成だった現行指導要領の欠点を補うための総ざらいという側面も持っている。だからこそ現場の参画による徹底した議論と納得感の下、答申と改訂告示にこぎつけたい。そのプロセスを踏むことも、今回改訂の大きな特色となろう。

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2024年12月14日 (土)

「天笠検討会」論点整理(7止) 中教審は条件整備含め徹底改革を

 中央教育審議会の総会が、25日に開催されることが発表された。諮問は▽初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について▽多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について――の2本だという。前者が次期学習指導要領の改訂であることは言うまでもないし、後者は2日付の日本教育新聞が1面トップで「教職単位、大幅削減を検討」とスクープしたものだ。

 実際に諮問文を見てみないと何とも言えないが、現段階では期待と不安が混在している。指導要領改訂とセットで「教員養成・採用・研修の抜本的な見直しに着手する」(同記事)こと自体は評価できるものの、肝心の「条件整備」が諮問の柱に立っていないからだ。

 次期改訂に陰で影響力を及ぼしているのが、2022年6月の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)「Society5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」だ。そこでは3本のうち政策1だけでも①教育課程の在り方の見直し②教員免許制度・教員養成改革③学校の役割、教職員配置や勤務の在り方の見直し④子どもの状況に応じた多様な学びの場の確保⑤探究的な学びの成果などを測るための新たな評価手法の開発⑥最先端テクノロジーを駆使した地方における新たな学び方のモデルを創出⑦デジタル・シチズンシップ教育の推進のためのカリキュラム等の開発⑧「教育データ利活用ロードマップ」に基づく施策の推進⑨教育支出の在り方の検討⑩子どもや学びの多様化に柔軟に対応できる学校環境への転換――を挙げている。

 ④や⑧など、既に進行しているものも少なくない。①と密接に絡むものもある。そもそも①③④⑨は、政策パッケージへの「応答」として中教審に設置された「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」(学校教育特別部会)の検討範囲となっていた。

 ①は前回改訂(現行指導要領)と同様、別に「天笠検討会」を置いて検討することになる。それも事実上、特別部会の義務教育ワーキンググループ(WG)と両輪になっていた。

 改めて気になることがある。義務WGは11月28日、約1年ぶりに会合を開催し審議まとめ案を大筋で了承した。審議もしていないのに「審議まとめ」というのも妙な話だが、一応は10月に親部会委員も含めた15人で広島県内3カ所を視察して寄せられた意見などを中間まとめに反映させたという。拙速の感は拭えないが、指導要領の改訂諮問に間に合わせるためと考えるなら理解できなくもない。

 更にさかのぼると、天笠検討会の論点整理自体も8月の会合で論点整理の「骨子案」を示したかと思うと次回会合で論点整理「案」を示して大筋で了承した。しかも「骨子」と同様、箇条書きのままだ。前回の「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」(いわゆる安彦検討会)と比べると、明らかに個別論点の議論が不足している。

 もちろん中教審の本格審議はこれから始まるのだから、今後詰めればいいという見方もできなくもない。しかしCSTIの提言から2年半の間、たっぷり時間はあったはずだ。しかも今回の諮問は、総選挙の影響で当初の想定より1カ月遅らせざるを得なかった。それでもバタバタとまとめた印象があるのは、どうしたことか。しかも高校WGの審議まとめは年明けになるという。

 学校の働き方改革にみられる通り、現段階では明らかに中途半端なものもある。今度こそ真に初等中等教育の総合的な改革を進めるためには、教育界を挙げて新たな諮問を基にどう審議が進んでいくか注視していく必要がある。教育現場は、今こそエージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)を発揮して改革論議に参画すべき時だ。

 

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2024年11月19日 (火)

教職調整額の財務省案 真の狙いは「10%」だ

 現行4%の教育調整額を文部科学省が13%に引き上げるよう概算要求したのに対し、財務省が条件付きで毎年少しずつ引き上げて10%になる段階で残業代への切り替えを検討するよう提案したことが波紋を広げている。教員給与特別措置法(給特法)廃止を主張する教育関係者は財務省案を一定評価する一方、文部科学省は「見解」を表明し反論。教育関係23団体も緊急声明をまとめ、概算要求の実現を求めた。

 文科省案と財務省案の、どちらが優れているか。そんなふうに考えてはいけない。そもそも「10%」で決着させようとしていることが、財務省の狙いだからだ。

 伏線はあった。総選挙投票前の10月22日にあった財政制度等審議会財政制度分科会の議題は「地方財政」だったが、ここに財務省は10%引き上げで地方に3000億円(義務教育2000億円、公立高校等1000億円)の負担増が見込まれるという総務省の試算を提出した。6月の「骨太の方針2024」が調整額を「10%以上」に引き上げるとしたことを前提に、社会保障分野の歳出改革徹底などによる財源確保を訴えたものだった。

 投票後の11月3日、共同通信が「公立校教員に残業代支給を検討 定額廃止案、勤務時間を反映」という「政府内で浮上した」案の記事を配信。地方紙は翌日の朝刊で一斉に報じたが、全国紙は電子版を含め一切反応しなかった。8日になって数紙が「財務省」案を前打ちし、文教・科学技術を議題の一つとする11日の財政制度分科会を迎えた。

 これは明らかに、未決定の案を一部報道機関にリークして関係者の反応をうかがう「アドバルーン(観測気球)」と呼ばれる手法の典型だ。しかも与野党が「103万円の壁」撤廃論議で揺れているさなかに、である。国の税収減はもちろん、地方からも「たちどころに財政破綻」と悲鳴が上がっていた。

 時間外在校等時間の削減を条件に調整率を引き上げるかどうか毎年判断するという財務省案が示されれば、地方の動揺や教育界の分断再燃だけでなく文科省や教育関係団体は給特法維持を優先して奔走せざるを得なくなる。それこそが、財務省のわなだ。

 そもそも骨太24で25年通常国会への給特法改正法案提出が明記されているのだから、最低でも10%へと一気に引き上げなければ政府の既定方針にもとる。それを財務省も重々承知しているからこそ10月の分科会では負担増に備えるよう地方に呼び掛けたのだろうし、新たな案でも最終的には10%に達することを目指している。

 ところで文科省は見解で「教職員定数等の充実をすることなく、単に学校現場の業務縮減の努力のみをもって学校における働き方改革を進めようとする提案は、学校現場への支援が欠如」と、財務省案を批判した。いったい、どの口が言うのか。「全ての教育委員会が総合的に取り組む段階から、解像度を上げて、具体的な取組に向けた支援と助言を行っていく段階に移行すべき」(8月の中教審)と現場の努力に委ねたのは、他ならぬ文科省自身ではないか。

 要するに文科省の弱点を突いたのが、財務省案だった。さすが役所の格が違う、と妙な感心をしてしまう。10~13%のどこで決着するかが、予算折衝の見どころである。

 ただ注意したいのは、これで改革を終わらせてはならないということだ。学習指導要領の次期改訂と連動させた、定数算定の抜本的見直し論議を急ぐ必要がある。財務省に産休・育休代替講師を「正規も対象にしてはどうか」と提案されるようでは、情けない。

 

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2024年11月 3日 (日)

「天笠検討会」論点整理(6) 教職員定数の抜本的改善論議も急げ

 天笠検討会の論点整理には「資質・能力を育成するための教育課程の改善・充実と教職員定数の改善をはじめとする教育条件整備は一体的に行っていく必要がある」との一文が盛り込まれた。中央教育審議会に学習指導要領の改訂を諮問する際には、一体論議も加速する必要がある。

 先ごろ公表された文部科学省の2023年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(問題行動等調査)では、ポストコロナ下で深刻化する実態が改めて浮かび上がった。不登校は伸びが鈍化したとはいえ前年度に比べ約16%増え34万人を軽く突破し、いじめの認知件数はともかく「重大事態」は約42%増の1306件と4桁時代に突入した。

 不登校を巡っては今後、児童生徒が学校外で学習した成果の評価も一層求められる。いじめがいったん重大事態に認定されると、教育委員会はもとより学校現場にも過重な負担が掛かることは言うまでもない。もちろん子ども本位に考えれば、一刻もおろそかにできない対応ではある。

 改めて総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)「政策パッケージ」が提起した「教室の中にある多様性」の図を思い起こそう。文科省の更新資料で中学校の状況を見ると、40人学級の中に平均で▽不登校2.4人、不登校傾向4.1人▽学習面・行動面で著しい困難を示す子2.2人▽家で日本語をあまり話さない子1.3人▽家にある本が少ない子(経済格差)13.9人――と、既に深刻な事態に置かれている。しかも、23年度調査結果の反映前だ。

 各地の25年度公立学校教員採用選考にも、あまりいいニュースは聞かれない。新採教員の質低下だけでなく、臨時任用要員の更なる枯渇で「教師不足」にも拍車がかかろう。産休・育休や病休の増加も相まって、定数さえ充足できない状況が常態化している。

 もう現場の過重負担は、耐えられないほどの状態であることを認識する必要がある。働き方改革も、のんきに「全ての教育委員会が総合的に取り組む段階から、解像度を上げて、具体的な取組に向けた支援と助言を行っていく段階に移行すべき」(8月の中教審答申)などと言っていていいのか。

 その上に論点整理が提案した教育課程改革の方向性を次期指導要領で進めようとするなら、従来の発想を抜本的に転換した定数改善の検討が不可欠になろう。少なくとも学級数を算定基礎にすることには、限界が来ている。そもそも指導の個別化・学習の個性化を学習者視点から整理したのが「個別最適な学び」だとするなら、チーム・ティーチング(TT)が基本になるべきなのが道理だ。

 1人1台端末が普及した分、学級担任1人でも指導の個別化や学習の個性化は補えるとの考え方はあろう。しかし先の教室における深刻な実態をみると、むしろ一人一人を丁寧に見取って対応する必要性は高まっている。

 そもそも日本の教育は、学級定員の多さにもかかわらず「生徒の学習到達度調査」(PISA)で好成績を示す「生産性の高い国」であると経済協力開発機構(OECD)は評価している。深刻な事態が進行する中でこれ以上の生産性向上、労働強化を求めようというのか。教職調整額の引き上げをはじめとする処遇改善は「環境」整備にはなっても、課題の解決策にはならない。

 カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)と教師のワーク・オーバーロードは別問題だという論点整理の認識はその通りだが、カリキュラムを高度化するには教師の質向上が欠かせない。そのためにも次期指導要領の全面実施までに、従来の発想を脱した新しい定数を実現すべく検討を急ぐべきである。養成・採用・研修の在り方も根本的に見直すべきだが、それはまた別に論じよう。

 

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2024年10月22日 (火)

「天笠検討会」論点整理(5) 教科書「使用」義務にも踏み込め

 天笠検討会の論点整理で画期的なのは、教科書の在り方にまで言及したことだろう。教科書制度を巡っては微妙な問題が山積していることも事実だが、これを機会にデジタル時代の大胆な見直しを進めたい。

 入試との関係は、前回論じた。付言すると「入試が必ずしも十分に変わっていない中で、授業改善の方向性と入試の出題傾向にズレが生じ、結果として教科書の内容も授業も変わりづらいのではないか」という指摘は、とりわけ高校に当てはまろう。大学受験対策に使えるかどうかが採択を左右し、最終学年では「演習」が主になっている。国語で「文学作品」の扱いが問題になる状況があるのは、本末転倒だ。そんな教育が横行したままでは、せっかく探究学習で育んだ資質・能力にもブレーキをかけかねない。高大接続改革の再審議はもとより、高校以下を含めた入試の在り方について正面からの議論が待たれる。

 さて教科書は「主たる教材」(教科書発行法)であり、学校には教科書を使用する義務が学校教育法で定められている。天笠検討会では座長代理で中央教育審議会教育課程部会長も務める奈須正裕・上智大学教授が6月の会合で「教科書を網羅的に教えないといけないという使用義務の捉え」について問題提起したが、論点整理では「教科書の内容を全て教えなくてはいけないという考え方」の根強さという表現にとどめている。

 教科書制度を危うくすることを承知で、あえて提案したい。学校の使用義務を、国の「供給義務」に替えることだ。

 使用義務のままにすることで実際には網羅的な扱いはもちろん、教科書の表現に授業が縛られ続けることになる。教科書検定は記述の一言一句をめぐって揺れてきたし、優れて専門性に基づくはずの教科書を「素人(レイマン)」である教育委員が全部読んで採択するという珍妙な運用も全国に拡大・定着した。

 共同採択地区が定められているのは、域内で教科書研究を深めることを狙いとしている。しかしネット時代に、地理的条件を考慮する必要もあるまい。極論すれば義務制でも各学校が実態に応じて個別に採択できるようにすれば、むしろ純粋に質で教科書が選ばれることになろう。

 一方で、教科書を見ないと学習指導要領の趣旨が十分理解できないという実態が現場にあることも認めざるを得ない。だからこそ「主たる教材」としての存在意義がある。それだけに指導要領の法的拘束力によって教科書使用義務が固く考えられ、「かえって教師の創意工夫や教師の指導力向上を阻んでいる」(論点整理)ことにもつながっている。

 悩ましいのは、義務制の教科書無償措置だ。使用義務を外せば、無償給与の根拠も崩れてしまいかねない。もちろん「使用」の解釈を緩くすれば、現行法令を改正する必要はない。

 いっそ供給義務に替えれば、主たる教材である教科書は引き続き届く。ただし現場がどう活用するかは、あくまで教職の専門性に委ねる。極端な話、教材研究に活用すれば必ずしも授業で使わなくていいことにしてはどうか。そこまで踏み込んでこそ、デジタル教科書・教材時代の教科書にふさわしい。

 余談を付け加えておこう。「教科書の内容は格段に充実し、ページ数が大幅に増えている現状」(同)をもたらしたのは当時の下村博文・文部科学相だし、児童生徒が自学自習できる教科書さえ主張していた。白黒化の提言は滑稽だったが、古い教科書観を助長し続けてきたのは保守合同前からの自民党だ。衆院選でも「日本の伝統」に基づく教育の主張が散見されたが、そんなアナクロニズムにいつまでも付き合っていてはVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)時代に対応できなくなる。

 

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2024年10月17日 (木)

「天笠検討会」論点整理(4) 「内なる序列主義」脱する学習評価の根源的捉え直しを

 天笠検討会の論点整理では、学習評価に関する重要な指摘がある。「見取り・形成的評価・総括的評価が区別されず、学習評価の全てが総括的評価(評定の対象)として行われることにより、評価の結果が学習の改善に結び付きにくい」ことから「形成的評価と総括的評価の効果的な使い分けの在り方」の検討を求めていることだ。

 かねて本社は学習評価の根源的な捉え直しを主張してきた。論点整理も言及するように「依然としてノート提出の頻度などの『勤勉さ』の評価に留まってい」たり「毎回の授業で3観点全てを見取らないといけないといった誤解」があったりするのは、これも以前紹介した通り教職の専門性に当然含まれているはずの学習評価に「基礎知識の不足」(鈴木秀幸・教育評価総合研究所代表理事)があることの証左だろう。

 形成的評価を行っていない教師などいないはずだが、いつまでも指導要録に記載するための総括的評価に収れんするような評価材料集めに終始していては学習評価の意義そのものをねじ曲げよう。

 ところで論点整理は「入試が必ずしも十分に変わっていない中で、授業改善の方向性と入試の出題傾向にズレが生じ、結果として教科書の内容も授業も変わりづらいのではないか」と指摘している。教科書に関しては、別に論じよう。ここで入試と授業改善の関係に触れていることは見逃せない。

 しかし、あくまで教科書の問題にとどまっているのは残念だ。むしろ公立高校入試では、指導要領の全面実施前でも趣旨を先取りしたような出題がなされる傾向がある。大学入試でも、大学入学共通テストに切り替わる前の大学入試センター試験がそうだった。

 真の問題は「出題傾向」ではなく入試問題に向かう受験生の態度であり、テストで高得点を取らせるための指導に注力する下級学校側の問題ではないか。特に公立高校入試では、指導要録を原簿とする調査書(内申書)が大きく関わってくる。むしろ内申書の在り方が教師の姿勢を規定している、と言ったら言いすぎだろうか。

 真の問題は、教師がテストの点数で学力を測った気になっていることかもしれない。しかも出題されたテストが、テスト理論的に妥当性があるとは限らない。「経験と勘」によって作題されたとしても、ひとたび採点されると1点刻みで評価できるような「魔力」を持ってしまう。それが、ひいては英訳もできない「学力」の物神化をもたらしているのではないか。

 1970年代 、東京工業大学教授で数学教育協議会(数教協)委員長の遠山啓は点数による序列主義批判を展開した。教育政策のみならず「教師に内面化された能力主義も批判の対象となっていた」という(香川七海・日本大学准教授 「数学者・遠山啓による学校批判の性格」、教育社会学研究第110集)。それから半世紀になろうというのに、いまだに教育現場は「内なる序列主義」から脱し切れていない。

 もっと大きな問題は、児童生徒自身がテストの点数や入試で自分の「能力」が測られていると錯覚することではないか。テストの存在自体が「隠れたカリキュラム」として、今も序列主義を助長していよう。少子化で70年代のような「競争原理」が減退したにもかかわらず、むしろ点数主義の受験競争に対する意識は保護者も含めて一部で激化しているように見える。

 テストと入試の問題は、必ずしも指導要領改訂論議で扱う範囲ではないかもしれない。だからこそ制度面や条件整備面と連動した一体改革として切り込んでほしいし、高大接続改革の再論議も不可欠だ。もうベビーブームの再来はないことががはっきりした今、公教育も人口増加時代を引きずるわけにはいかない。

 

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2024年10月 2日 (水)

「天笠検討会」論点整理(3) 指導要領の柔軟化は裁量“回復”とセットで

 「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(座長=天笠茂・千葉大学名誉教授、いわゆる天笠検討会)の論点整理では、学校と子ども一人一人の両面から「教育課程の柔軟化」を行うよう提言した。学校側の視点としては、教育課程の特例制度を活用するだけでなく各教科等の標準授業時数に柔軟性を持たせるような教育委員会・学校の裁量拡大についても検討すべきだとしている。

 これに関連して、週35週以上の年間最低授業週数や小学校45分、中学校50分の単位時間についても取り扱いの検討を求めている。読売新聞の読者なら、2月10日付1面トップのスクープを覚えていよう。記事の最後に天笠検討会の座長代理でもある奈須正裕・上智大学教授のコメントが付いている事情も、これで了解されるのではないか。

 さて、論点整理も述べている通り授業週数や単位時間は「現在でも学校に裁量が認められている」。そもそも学習指導要領は教育課程編成の「大綱的基準」だし、教育課程編成権は校長=学校にあることを改めて確認しておきたい。

 しかし実際には指導要領や法令が一言一句、拘束性を持つような硬直的運用がなされている。記事にある通り45分授業を40分にしている小学校などもあるが、依然として少数だ。

 確かに、学校教育法施行規則の記述を変えることは「ショック療法」としてあり得なくもない。しかし原則に立ち返れば、せいぜい指導通知1本も流せば済む話ではないか。というより本来「指導」するまでもない。

 「子供一人一人に応じて教育課程を実施する際の柔軟性」(論点整理)を言うのなら、必然的に40分とか45分とかの一斉授業にさえこだわる必要はないはずだ。一斉指導の時間だけ決めておき、後は一人一人の自主性に任せるというのも「自ら教材・方法・ペース等を選択できる学習環境」(同)のデザインに任され得る。授業時数特例校制度については、かつて社説で批判した。

 論点整理では「文部科学省⇒都道府県教育委員会⇒市町村教育委員会⇒学校という固定的な経路での情報伝達」、いわゆる指導要領の解釈を巡る「伝言ゲーム」問題に言及している。そもそも本社が「指導要領の訓詁学的解釈」と呼ぶ一言一句の過剰な読み込みも、今や55年体制の遺物だ。そこを誰もきちんと総括していないのが残念だし、行政の無謬(むびゅう)性・継続性にこだわると屋上屋を重ね続けることになる。

 論点整理は従来の知識・技能も「個別的知識及び技能」と「概念的知識・方略」に整理するよう提案している。それを現行の総授業時数の枠内で行うなら、なおさら以前論じた通り現場の裁量専門性の回復が必然的に求められることになろう。

 ここで「拡大」とか「高度化」ではなく、あえて「回復」を使った意図も読み取っていただきたい。繰り返すが、次期指導要領は現場への期待と信頼を根底に置かねばならない。

 

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