社説

2023年3月21日 (火)

処遇改善より定数改善を優先すべきだ

 自民党の特命委員会が、公立学校教員の処遇改善を検討している。教員不足や採用試験倍率低下の問題が、給特法(教職給与特別法)に特化されているかのような情勢だ。

 文部科学省の検討会も昨年末に発足しているが、明らかに与党の様子見で会合をころがしている状態にとどまっている。2022年度の教員勤務実態調査の速報値公表が5月にずれ込むというのも、単なる事務作業の遅れなのかといぶかしんでしまう。

 処遇改善を否定するわけではない。本来1兆円にも値するタダ働きをさせている状況は、いかにも違法状態である。ただ財源に限りがある中では、中途半端になりはしまいか

 特命委では、業務や能力に応じた待遇という話も出ている。思い起こされるのが、東京都教委の成績率導入だ。それによって教員の士気が上がったと言えるだろうか。そもそも副校長どころか主幹教委のなり手も少なくなっているのは、どういいうわけか。そもそも今どき給与が高いから教員を選んでいるという人が、どれほどいるだろう。

 給特法を廃止すべきだという声も強まっている。一般論として、残業抑制の効果を期待するのは分からないでもない。しかし、これからは教育の質をますます上げなければならない時代である。今こそ教員の自発性、創造性発揮が期待される時はなかろう。

 もちろん、部活動指導をはじめとして半ば職務命令になっている違法状態は一刻も早く解消されなければならない。だからといって現実的な改革が難しいのも、部活の地域移行を見れば明らかだ。

 防衛費はもとより福祉や子ども予算をめぐる政府・与党の財源論が迷走する中で、大胆な教育支出の拡充も期待できまい。一方で、定額働かせ放題で多忙化している教員の問題が社会的にも注目を集めている状況は好機だ。

 そうした中で財源を有効に活用するためには、何よりも定数改善を優先すべきではないか。人が増えれば、それだけ負担も軽減されるのは明らかだ。というより20年も定数改善を放置してきたことが、現下の過酷な勤務実態を生んできた最大の要因ではなかったか。

 具体的に定数の何を改善すべきか、さらには養成・採用の問題をどうするかは別に論じたい。まずは与党や世間の関心が給特法の在り方に集中しつつある中、改革論議が的外れな方向に流れないよう強く訴える。

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2023年2月 9日 (木)

次期指導要領 「学習内容の重点化」に今から知恵結集を

 中央教育審議会の初等中等教育分科会「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」(学校教育特別部会)義務教育の在り方ワーキンググループ(WG)の第5回会合が1日に開催され、論点整理素案を大筋で了承した。高校WGも含めた20日の特別部会合同で固める見通しである。

 横断的な改革を守備範囲とする親特別部会はもとより、次期学習指導要領をめぐっては中教審と別に「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」も昨年末に発足している。そうした諸会議体の中でも、義務WGが司令塔役を果たすことが明らかになった感がある。

 ここでは論点整理素案に「学校での学びの先にある社会を意識した授業改善、学習内容の重点化」として「ICTを最大限活用した授業実践、教科書・教材、授業時数等を含めた教育課程、教員研修の在り方を一体的に検討すること」が盛り込まれたことに注目したい。

 そもそも学校教育特別部会は、内閣府「総合科学技術・イノベーション会議」(CSTI)教育・人材育成WG中間まとめの提起を受けて2022年1月に発足した。そのCSTI「政策パッケージ」(同年6月決定)では、「教科等の本質を踏まえた教育内容の重点化や教育課程編成の弾力化」が提案されている。今回の義務WG論点整理素案は、それに対する応答の第一歩だ。

 政策パッケージ岸田文雄首相を議長とする政府重要会議での決定とはいえ、あくまで「内閣府」の話である。今般、中教審の部会内に掛けられた意義は強調してもし過ぎることはない。

 時代の進展に応じて学校教育で扱う内容が増えすぎるカリキュラム・オーバーロード(過積載)は、世界的な課題となっている。ましてや現行指導要領では資質・能力(コンピテンシー)を重視する一方で、学習内容(コンテンツ)の削減は行わずに増やす結果となった。これも教師の多忙化に拍車を掛けていることは否定できまい。

 前回は中途半端に終わったコンピテンシー・ベースの教育課程改革を、次期こそ完遂しなければならない――。本社が昨年10月『学習指導要領「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(ジダイ社)を世に問うたのも、その思いからだった。

 同書でも指摘した通り次期改訂に向けて今からコンテンツの再考とコンピテンシーの本格整理に、学校現場はもとより教育関係諸団体、教育関連学会を挙げて「熟議」を行うべきだ。あえて熟議という言葉を使ったのは、それぞれが改訂後も責任を持った主体となり続けるためである。そうしなければ今回も「上から降って来る」教育改革から脱却できず「やらされ感」が募るばかりか、コンピテンシー育成も不十分なものになりかねない。

 CSTI政策パッケージでは、次期改訂見込みが2027年とされている。乗り越えるべき課題が山積する中、実質あと4年という期間は決して長くはない。各方面で早急に取り組みを始め、糾合への準備も進めるべきだ。教育界の英知を集めた改革としたい。

 

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2023年1月 9日 (月)

「大改革」議論の初年に① 深刻な現場の文科行政不信

 本社配信記事「『教員給与見直し』は本当にできるか? 現場は精神疾患での休職、過去最多の危機」が6日朝、ウェブメディア「オトナンサー」にアップされた。同時転載のYahoo!ニュースには、休日に入った7日までに500件を超えるコメントが付いた。

 何も反響があったことを誇りたいわけではない。そもそもコメントは記事内容に直接関係があるとは限らず、見出しやテーマ自体に対するつぶやきも多い。読んでいて改めて思うのは、既に論じた通り学校現場にある根強い文部科学行政不信である。

 もちろん政治や財務当局との関係をきちんと押さえた上での書き込みもあるが、「文科省は何もする気がない」との見方が絶えないのはニュース解説者としての力不足を痛感せざるを得ない。本社は会社員時代に旧文部省担当が長かったため文科官僚に同情しがちな傾向は否定しないが、彼ら彼女らは自分たちなりに教育現場を思いやりつつ霞が関・永田町や世論にも最大限配慮しながら難しいかじ取りを余儀なくされているのも事実だ。その結果としての教育行政に限界があることは、必ずしも彼ら彼女らの無責任体質によるものとは限らない。

 とりわけ気になるのは、「授業だけさせてほしい。しつけは家庭でやれ」という類いのものだ。もちろんネットニュースの短いコメントには激情型が少なくなく、字面をそのまま受け止めるには慎重さが必要だろう。しかし教員は「勉強」(知識)だけ教え、生活指導その他は家庭の責任だと考える風潮が強まっているとすれば憂慮せざるを得ない。

 言うまでもなく教育は「人格の完成」(教育基本法1条)を目指す営みである。現行学習指導要領に沿って言えば、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」(同)を育成するために資質・能力の伸長を図ることが求められている。テストの成績や進学実績に重きを置くような近視眼的学校教育観が通用しないことは、もちろんだ。

 ただ、そんな極論が並んでしまうほど現場に不満がたまっている事実は決して無視すべきではない。教育関係団体を通した意見書には良識を持ったお行儀の良い要望が並ぶが、そこに必ずしも教育界の「本音」はない。むしろ勤務実態や「働き方改革」に対する爆発寸前の不満が、コメント欄に噴出しているとみるべきだろう。

 このような状況では、どんな改革案を提示しようと現場は反発や懐疑の姿勢を示しかねない。現場の士気を低下させないような慎重さがなければ、かえって逆効果を招きかねない。

 現下の困難な状況にあっては、教育界の総力を挙げて改革案を熟議することが不可欠になろう。他省庁はもとより国民世論を動かそうとするなら、なおさらだ。本来は教職員組合にも奮起してもらいたいところだが、現実としては期待できない。

 個々の教員も、ネット上の激情でガス抜きして済ませている場合ではない。いま積極的に形になる声を上げなければ、かえって改革案が悪くなることは必定だ。

 本社が昨年、拙著『学習指導要領「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(ジダイ社)を世に問うたのも、まずは行政担当者の意図や研究者が考える教育課程の課題を正確に伝えた上で、それを基に教育界全体で次期指導要領の在り方を主体的に考えてもらいたかったからだ。今や教職の自主性・自発性・創造性は、教員の内外ともに危機にある。だから教員自身が今こそエージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)を発揮しなければ教育の未来が危うくなるだけでなく、自分の身さえ守れなくなるだろう。

 今後シリーズで「大改革」の課題を論じていきます。ご期待ください。

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 【自社広】
 文科省が年末に相次いで発足させた
 「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」(12月20日)、
 「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(同22日)は何を狙っている?
 答えはココに!

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2022年12月24日 (土)

教育課程検討会 「大教育改革」に向け現場から声を

 文部科学省が「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」を設置し、22日に初会合を開催した。いよいよ学習指導要領の「次期改訂」に向けた議論が始まる。もっとも会合では、次期改訂のジの字も出なかった。だから日刊紙の報道は一切なかったし、事情が分かっているはずの専門紙も淡々と伝えただけだった。

 既視感を抱くのは、2012年12月の政権交代前夜に設置された「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」(座長=安彦忠彦・名古屋大学名誉教授)だ。当時は本社以外に記事化するところが一切なかったが、現行指導要領が実質的にコンピテンシー(資質・能力)ベースへとかじを切る学問的根拠を固めた「安彦検討会」の意義は強調してもし過ぎることはない。もっとも2年後の中央教育審議会への改訂諮問ではアクティブ・ラーニング(AL、当時は「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」)ばかりが注目され、なかなか「学力」観の転換に気付く人は少なかった。

 今回の検討会は安彦検討会でも委員を務めた天笠茂・千葉大学名誉教授が最初から座長に指名されていたから「天笠検討会」と呼ぶべきだが、本社では座長代理の一人で「令和の日本型教育」答申関係でも教育課程論議をリードしてきた奈須正裕・上智大学教授の名も冠して「天笠・奈須検討会」と呼びたい。

 象徴的なのが、天笠・奈須検討会の2日前に発足した「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」だ。一見すると「魅力向上」が主眼のようにも見えるが、実際には給特法(教職給与特別法)の見直しを含めた「質の高い教師の確保」策の検討を目的としている。

 これらは決して、バラバラな課題への対応ではない。両者をつなぐのが、10月に義務教育・高校教育の二つのワーキンググループ(WG)設置を決めた中教審初等中等教育分科会「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」(学校教育特別部会)である。

 同部会は、政府重要会議の一つである内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)に設置された「教育・人材育成WG」の中間まとめ(21年12月)に対する応答として、1月に設置が決まった。「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」は6月のCSTI本会議で決定されているから、27年見込みとされる次期改訂が政府方針になったことを意味しよう。

 政策パッケージでは次期改訂も教員勤務の見直しも、学校教育特別部会の検討事項とされていた。初等中等教育局長の私的懇談会形式を挟んだとはいえ、いずれは中教審マターとなるべき課題である。

 内閣府審議官としてCSTIのWGを仕掛けたのは、2度の指導要領改訂に携わった合田哲雄・現文化庁次長である。財務課長として教職員定数や「学校の働き方改革」を手掛けた身として、トータルな政策展開なしには山積する課題を打開できないと痛感したようだ。西山圭太・元経済産業省商務情報政策局長の「DX(デジタルトランスフォーメーション、デジタルによる変革)の思考法」に心酔するのも、そのためだろう。

 だからこそ審議の舞台が文科省=中教審に戻った今こそ、教育現場から声を上げなければいけない。そうでなければ、政界や国民世論の顔色をうかがいながらの政策決定を余儀なくされている文科官僚による中途半端な改革にとどまらざるを得ない恐れさえある。

 典型的なのが、同じ週の19日に答申された「『令和の日本型学校教育』を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について~『新たな教師の学びの姿』の実現と、多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成~」だ。教員免許更新制の廃止は結構だが、それに代わる研修履歴記録システムと教員研修プラットフォームによる受講奨励は下手をすると働き方改革に逆行しかねない。

 不登校や発達障害・特異な才能、外国ルーツの子どもなどの多様性・包摂性に対応するためにも、また1000兆円もの国の借金を背負わせてしまった次世代を担う子どもたちに課題発見・解決能力を身に付けてもらうためにも、教育課程改革を含めた教育大改革は進めなければならない。ただし、それも学校や教員の持続可能性あっての話である。「日本型教師」に信頼を置いた改革を願ったからこそ、本社は10月にジダイ社から『学習指導要領「次期改訂」をどうする ―検証 教育課程改革―』を刊行した。今後も現場へのエールを込めつつ、配信記事で中教審などの動向を報じていきたい。

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 合田・奈須両氏へのロングインタビューも掲載した
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2022年10月16日 (日)

「新」教育振興基本計画 そもそも策定に意味があるのか

 「シン・〇〇」は、庵野秀明氏がプロデュースする一連の映画だ。旧作の世界観に最大の敬意を表しつつ、現代的な解釈も加える秀作がそろっている。では「シン・振興計画」と言われて、いったい何を期待すればいいのだろう。

 13日に開催された中央教育審議会の教育振興基本計画部会で、部会長の渡邉光一郎・中教審会長は次期計画(2023年度から5年間)を「新教育振興基本計画」と命名したい考えを明らかにした。ウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)など第3期(18~22年度)にはない要素が含まれた計画を、学制150年という節目に打ち出す必要性があるのだという。

 2月の諮問を受けて同部会ではこれまで、ウェルビーイングはもとより「教育DX(デジタルトランスフォーメーション=デジタルによる変革)」「誰一人取り残さない教育」「グローバル」などテーマごとにグループ分けしながら基本的な方向性を議論してきた。その後も教育・スポーツ界や自治体から選ばれた委員が、高邁(まい)な理念を述べ合っている。テーマには「教育振興基本計画の教育現場での実効性について」(6月2日、第3回)というものもあったが、そもそも3期15年間にわたる計画自体に実効性などあったのか。

 振興計画を策定することは、06年の改正教育基本法に盛り込まれたものだ。政府が策定して国会に報告、公表するとあり、地方にも計画を策定する努力義務を課している。戦後に憲法と一体で制定された旧教基法の改正に及び腰だった文部省・文部科学省が姿勢を転じたのは、科学技術基本計画(現在は科学技術・イノベーション基本計画)にならって教育予算を拡大したい狙いがあった。

 しかし、政府全体のお墨付きを得たい目論見は外れた。しかも第1期は各局課の課題を総花的に並べただけ、第2期は「自立・協働・創造」という理念は掲げたものの局課横断的に課題をまとめただけだった。第3期は政策目標と施策を総合的・体系的に示す「ロジックモデル」を導入したものの、それが何の役に立ったかは必ずしも実感できないだろう。

 計画の策定主体は「政府」となっているものの、当初から財務省をはじめ他省庁にはまったく影響を与えられていない。実質的には「文部科学省教育施策基本計画」を閣議で承認してもらっているにすぎない。いや、GIGAスクール構想や小学校35人学級化のように政治情勢によって計画に関係なく政策や予算が左右されるという意味では「文科省運動方針」程度ではないか。

 教育界を挙げて理念の共有を確認するさまは、さながら5年に1度の「お祭り」のようだ。しかし祭りの後は、結束感以外に何も残さない。むしろ財源の裏付けがない理念の肥大化が、教育現場の疲弊にさおさす結果しかもたらさなかったのではないか。

 むしろ関係省庁を巻き込んでという意味では、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の提起を受けた中教審初等中等教育分科会「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」の方が5年後・10年後の学校教育の在り方を展望することに期待が持てる。

 改正教育法には、家庭教育条項も盛り込まれた。これが旧統一教会や、それより大きな宗教関連団体の意向を反映させたものであったとしたら何のための改正だったのか。むなしさは募るばかりだ。

 

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2022年10月 6日 (木)

中教審「学校教育」特別部会 教育課程のWGも至急に

 中央教育審議会の初等中等教育分科会「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」が3日、8カ月ぶりに第2回会合を開催し、「教科書・教材・ソフトウェアの在り方ワーキンググループ(WG)」から中間報告を受けるとともに、新たに「義務教育」「高等学校教育」の在り方で二つのWGを新設することを決定した。まさに略称の「学校教育の在り方特別部会」にふさわしく、場合によっては学制150年以来、教室の姿を含めた教育制度そのものに踏み込む可能性を秘めた審議が始まろうとしている。

 とはいえ、いったい何を議論する部会とWGなのか依然として見えづらい。各WGの「主な検討事項」も総花的だったり、現段階での課題を並べたりするにとどまっている。当面はブレーンストーミングのような自由討議が続くのだろう。

 委員からは、実現のための教員や施設についても検討するよう発言が相次いだ。しかしリソース(資源)の在り方も併せて検討するのが、部会のミッション(使命)のはずだ。予算に関わることは現段階で文部科学省事務局にとって慎重な扱いをしたいところだろうから、むしろ委員側から積極的な突き上げを行ってもらいたい。

 その上で、あえて運営の在り方に注文を付けたい。

 一つは、義務制と高校の二つのWGに分けたことである。もちろん両者は制度的にも内容的にも違いがあるのは確かなので、別個に検討した方がいいという判断も分からないではない。しかし、それでは初等中等教育全体を見渡す議論につながりにくい。委員からも指摘があった通り、親部会で綿密な報告を受けながら収れんさせてもらいたい。

 もう一つは上記ともからむ話だが、教育課程に関するWGも早急に設けることである。学校教育制度全体の見直しにある程度の方向性を見いだしてから、教育課程の在り方に道筋を付けたいという意図も分からないではない。しかし、それではコンテンツ(学習内容)とコンピテンシー(資質・能力)の大胆な見直しには間に合わなくなる恐れすらある。8月に伯井美徳・初等中等教育局長(当時、現文部科学審議官)が明らかにしたように「次期」学習指導要領の改訂を2027年に、小学校の全面実施を30年度からにするのには、4年の審議期間はむしろ短いぐらいだ。コンピテンシー・ベースへの転換が中途半端に終わった17年改訂の轍を踏まないためにも、生煮えの段階だろうと同時並行的に発足させるべきである。

 そうでなくても現行の教育制度はさまざまな「制度疲労」(堀田龍也・部会長代理、第1回会合での発言)を起こしており、それが学校現場の苦悩をより深めている。ここ20年来ばらばらな改革メニューが次から次へと「上から降って来」た結果、多忙化と相まって教職員間には「やらされ感」ばかりが募って判断停止状態に陥っているのではないか。それでは検討事項にあるような主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング=AL)の具体化も「多様性と包摂性に基づく学校文化の醸成」も、実現は遠い。

 今こそ教員の自主性・自発性を取り戻し、目の前の子どもたちの資質・能力を最大限に発揮させるとともに、協働性を通して「持続可能な社会の創り手」(検討事項)を育てるような学校教育への転換を図るべきだ。

 この機会を逃しては、学制200年になっても現場の混迷は止揚されないだろう。特別部会と、それを誘導する事務局の役割は重い。


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2022年8月28日 (日)

教員勤務実態調査 「結果フェイク」を猛省しつつ

 先にお知らせした通り、本社配信記事「始まった教員勤務実態調査、『働き方改革』にとどまらない『国の思惑』とは?」に当初、誤りがあった。気付いた時点で編集部に連絡し、すぐ修正してもらったもののアップから13時間がたっていた。その間、同時配信のYahoo!ニュースには200件を超えるコメントが付いていたから、相当拡散したことがうかがえる。

 もし文部科学省の同調査をめぐって「分析に3年もかけるのか」という非難があったとしたら、ひとえに本社の責任である。読者はもとより同省はじめ関係各位に重ねておわびしたい。

 内実を明かせば、なぜ「2025年」と誤表記したのかは分からない。あくまで「2023年」と書き込んだつもりであり、そのため編集部から原稿の戻しが来ても脳内で23年と変換してしまった。間違いに気付いたのも、コメント欄に「さらに3年もかけて改革を先送りするのか」といった書き込みがあったからだ。最初は「そんなこと書いた覚えはないのになあ」と読み飛ばしていたが、複数にわたってコメントが続くので改めて確認して初めて分かった次第である。

 意図しなかったこととはいえ、結果としてフェイクニュースを一定時間流布させたことは確かだ。最末端とはいえ報道に携わる者として猛省しなければならない。

 その上で、あえて指摘しておきたい。それだけ「学校の働き方改革」に学校現場の不信感が高まっている、ということだ。

 記事では23年を25年と誤記しただけで、「3年かけて分析する」とまでは書いていない。しかし読者の方が目を皿にして熱心に記事を読み、そう解釈した。それだけ現場は真剣だということも意味しよう。

 コメントでは他に「なぜ8月に調査するのか」といった批判も相次いでいた。これも「夏休み中の8月と、平均的な忙しさの時期である10月と11月の3カ月」と通り一遍の説明はしたものの、どうやら読者は低く見積もるための期間設定と受け止めたらしい。前回16年調査と比較可能にするため同期間を設定した、という説明も必要だったかもしれない。

 これらから類推されるのは、読者は改革に強い不信感を持って最初から記事を読んでいるということだ。誤情報を流した責任を脇に置けば、いくら文科省側が弁明しても聞く耳が持たれなかった「ゆとり教育批判」を思い起こす。

 だから文科省や中央教育審議会が今後どんな改革提言を出そうと、一般の教員は悪く解釈して受け止める可能性があろう。教委や校長会などの受け止め方ともギャップが広がりかねない。それはおそらく、「#教師のバトン」の比ではない。

 一連の本社配信記事が不信感にさおさした側面は否定しないが、それもあくまで事実に基づいた問題提起の範囲である。だからこそフェイクを流した罪は重く、今後ますます慎重に記事を書くことを誓う。同時に今回の一件で明らかになった現場実態の一端も指摘しておくことで、せめてもの償いとしたい。

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2022年7月27日 (水)

宗教団体支援者を文科相に就けない慣例を

 安倍晋三元首相の銃撃死事件を契機に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党議員との近しい関係が取り沙汰されている。一部報道では、統一協会の名称変更に下村博文・元文部科学相が関与した疑惑も持ち上がった。

 旧統一教会をめぐっては末松信介文科相が22日の会見で、パーティー券を購入してもらったことはあるものの関係団体を含め「特別なお付き合いはない」と答えている。

 何と言っても文部科学省は、教育行政のみならず宗務行政を所管している中央省庁である。自公政権の下では公明党から大臣を出さない慣例が定着しているが、これを宗教団体に支持されている者一般にまで拡張すべきだ。

 旧統一教会は論外としても、神道政治連盟(神政連)国会議員懇談会に名を連ねる議員は多い。先ごろ、同懇談会の会合に「同性愛は依存症」などとする冊子が配布されていたことも発覚した。学校現場でいわゆるLGBTQを含めた多様性・包摂性に配慮が求められている時に、百害あって一利ない。

 問題は自民党党文教族を中心に、そうした宗教団体の支持が拡大していることだ。

 かつて文教族といえば、与党自民党は私学団体、野党社会党・共産党は教職員組合を支持母体とするのが定番だった。与野党の枠を超えて私学助成増額と教職員定数改善には一致して努力する、というのが55年体制下での文教族の姿だった。

 しかし特に小選挙区制になって以降、支持基盤の弱い候補者・議員が宗教団体の力に頼る傾向が強まっているようだ。有力派閥の長が旧統一教会の票を案配していたとの報道もある。

 宗務行政に関しては説明するまでもないが、教育行政に関しても影響力が行使されては問題だ。改正教育基本法で家庭教育条項が盛り込まれたのも、単なる振興策の奨励だけでなく家庭の在り方に関する「伝統的価値」と称した押し付けを許しかねない恐れがある。事は社会保障も含めた問題だろうが、文教行政に特化する本社は言及しない。

 もちろん神政連の支持を受けながらSOGI(性的指向・性自認)の問題に取り組んだ馳浩・元文科相(現石川県知事)のような例もあるから、結局は議員個人の資質の問題と言えるかもしれない。しかし木っ端議員ほど声だけは大きいのが常だから、文科官僚の国会対策も含めて支障をきたしかねない。

 そもそも文科相は、文部科学行政に詳しくなくても大臣適齢期の初任ポストとして扱われてきたのが実態だ。大半は官僚の振り付けに従ってくれるからいいのだが、端々でイデオロギーをちらつかせられては文教行政をゆがめかねない。いや、その影響がじわじわと広がっているとみるべきだろう。これを機会に、少なくとも在任中は関係を断ち切るなど副大臣・政務官も含めて慣例を見直すべきではないか。

 

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2022年7月 5日 (火)

研修履歴システムのパブコメ 問われる自民の責任

 参院選たけなわの6月30日、文部科学省が「研修履歴を活用した対話に基づく 受講奨励に関するガイドライン(仮称)」案などのパブリックコメント(意見公募手続)を始めた(7月29日まで)。同省ホームページ(HP)では新着情報にも載せておらず、探さないと分からない。専門紙報道に接しない人は、見過ごしているのではないか。

 ガイドライン案は27日に開催された中央教育審議会「『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方特別部会」や同部会基本問題小委員会、初等中等教育分科会教員養成部会の合同会議に提示され、部会長一任を取り付けた。相変わらず用意周到だ、というより選挙のどさくさを狙った感が拭えない。

 もちろん内容は昨年11月の特別部会「審議まとめ」のみならず今年5月の改正教育公務員特例法(教特法)附帯決議の線に沿っているから、一定の歯止めは掛かっている。選挙中のパブコメも、政治日程や政治的思惑に関係なく淡々と行政手続きをこなしているという説明はつこう。

 しかし「研修履歴に課題のある教師」への職務命令研修のみならず、審議まとめにはなかった「指導に課題のある教師」に対する研修も組み込んでいることが注目される。

 これについては、思い浮かぶことがある。14日に自民党文部科学委員会が末松信介文部科学相に手渡した「教師の指導力の確保・向上のための提言」だ。失効・休眠状態になっている教員免許の保持者に厳格な選考と必要な研修を課すとともに、指導力不足教員には分限免職や再研修などの厳格な対応を促すなど教員の質の確保を強く求める内容となっている。

 そもそも「発展的解消」が発端となった教員免許更新制は「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すもの」であり、「不適格教員の排除」を目的としたものではない。要するに制度設計上、更新制と質の担保はそもそも関係なかったのだ。それを「発展的解消」策である研修履歴システムで、更新制の「代わり」となる質担保策を求めるのは筋違いだ。

 なぜ文科省事務局が、そんな筋違いな案を特別部会の免許更新制小委の段階から示し続けてきたのか。審議会だけ見ていても分からないが、最初から背後に文教族の意向があったとすれば合点がいく。

 55年体制下の与党文教族といえば私学を支持母体とするのが定番で、私学助成とともに公立教職員定数改善には野党とともに一致協力したものだった。しかし特に小選挙区制になって以降、宗教団体をバックとする右翼的で文教政策に関する基礎知識もない「族議員」が跋扈(ばっこ)している。教職員に対する敬意も何もあったものではない。2018年に前川喜平・元文部科学事務次官を招いた名古屋市立中学校の授業内容を市教委に報告するよう文科省を通して要請させた一件は、そのことも象徴していよう。

 そういう手合いが牛耳る文教政策の将来は、いったいどうなるのか。いや、今までも散々振り回されてきたと言わざるを得ない。これから未来志向の教育を目指さなければいけない時にアナクロで勉強不足の議員が影響力を持つことは、一利もないとまでは言わないが百害はある。

 少なくとも現場教員には、よくよく人物を見て投票することをお勧めする。そうしないと、ますます自分たちの首を絞めることになってしまおう。もっとも参院選の結果いかんにかかわらずガイドラインは淡々と策定されるのだろうが、「パブコメの意見を反映して」改悪が行われる可能性にも注視しなければならない。

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2022年1月31日 (月)

受難の第2回共通テスト 改めて「高大接続改革」論議を

 今回で2回目となる、大学入学共通テストの全日程が終わった。新型コロナウイルス感染症のオミクロン株拡大に加え当日のトンガ津波による交通機関の乱れは、基本的に一発勝負である共通試験の脆弱性を改めて突き付けた。これらに比べれば大阪府内会場でのスマートフォン(スマホ)を使った問題流出や東京大学本郷地区会場での死傷事件は、あくまで個別の事案として管理体制を別にすれば試験制度自体を揺るがせることはないだろう。

 原則的立場から重箱の隅をつつくのが真骨頂の本社としては、いずれもが同根の課題に思えてならない。道半ばの「高大接続改革」のことだ。

 共通テストは導入直前に、目玉とされた記述式問題の導入と英語民間試験の活用が頓挫した。文部科学省は二つの会議を設けて経緯を検証するとともに「大学入試のあり方」の原則を再確認したが、それが高大接続改革の理念からいって妥当なものか疑問が残る。

 確かに受験生によるスマホ流出や高2による死傷は、個人の問題ではある。カンニングや受験のプレッシャーは、昔もあった。それを制度のせいにするのはお門違い、と割り切るのはたやすい。問題は、18歳人口減で実質的な大学全入時代を迎える中、いまだに「少しでもいい大学」への志向が一部の高校生などに強まっていることだ。

 本試験の一部科目で平均点が極端に低くなったことに加え追・再試験の受験者が増えたことも、いずれは共通テストの「公平性」の問題が再燃しかねないだろう。ただし一斉試験を続ける限り、避けられない問題でもある。

 そもそも高大接続改革は、大学教育の行く末に関係者が危機感を抱いたことから始まった。大学教育を変えるためには、学生を送る側である高校教育にも変わってもらわなければならない。その高校関係者は「大学入試が変わらないと、高校教育は変われない」と言う。ならば大学入学者選抜と三位一体で改革しよう――というのが、高大接続改革の理念だ。決して「大学入試改革」に矮小化してはならない。

 もっとも共通テストの目玉改革をめぐる世間の反応や文科省会議の議論を聞いていても、国民の関心は結局テストによる「入試」にしかないことに暗澹たる思いがしている。これからの時代に求められるのがDX(デジタルトランスフォーメーション=デジタルによる変革)なのか何なのかは差し置くとしても、資質・能力のごく一部を測定するものでしかないペーパーテストに過度の依存をしたままの「入試」体制でいいのか。

 反面、大学と高校の現場で「教育」改革は進んでいる。高校教育の改革を後押しした背景に「大学入試改革」があったことは間違いないが、「総合的な学習の時間」をサボタージュし続けてきた進学校なども「総合的な探究の時間」に本気で取り組み始めたのは事実だ。

 高校での探究活動を含めた「学習」を受け止めて、大学での「学修」を通して社会に有為な人材を送り出す。それこそが高大接続改革の肝だったはずだ。そうした中、偏差値偏重という旧態依然の進路意識しか持てない者の問題を深刻に考えるべきだろう。もはや社会に出れば大学名など通用しないのに、である。

 高校では4月から、学年進行で新学習指導要領が始まる。共通テストをはじめとした「大学入試改革」は新課程の2025年度入試に第2段階を迎えるが、裏を返せば本格的な「大学入学者選抜改革」はそれまで先送りされることになる。コロナ禍で世界経済も社会システムも大きく揺らいでいる時、そんな悠長なことを言っていていいのか。

 既に「次の改訂」の必要性も指摘される昨今である。今こそ改めて、本気で高大接続改革を論議すべきだ。大学入学者選抜改革をめぐっては本社がかねて主張している通り10年の「高大接続テスト」構想に立ち戻るのが、いくら考えてもベストにしか思えない。

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