社説

2024年3月30日 (土)

教職員の高度専門職化 まずは学習評価と特別支援から

 2月12日の社説「改訂諮問の年に③ 『学習評価』の根源的な捉え直しを」について、本社と同じブログランキングサイト「にほんブログ村」教育論・教育問題に参加する“しょう”さんが24日、「渡辺敦司『学習評価』の捉えなおし について」と題して取り上げてくれた。

 社説は多くの教師に学習評価の専門性が薄いことを批判したものだったが、実は現場の総スカンを食うかと内心ヒヤヒヤしていた。それが日ごろから社会問題に粘り強い思考を展開していて敬服する高校教員、しかも内地留学で学習評価を学んだという文字通りの専門家に高評していただいたのは、ありがたい。もちろん、学術的厳密性に欠ける部分は容赦いただいた上であろうが。

 “しょう”さんが引用する中内敏夫の「評価もまた教育でなければならない」というのは、重要な指摘だ。「指導と評価の一体化」が叫ばれながら、結局は評価も指導改善のための手段と受け止める向きが強いのではないか。そうではなく、まさに一体のものとして日々の教育活動に生かされなければなるまい。

 実はもう一つ、胸をなで下ろしたことがあった。「わが国で唯一の教育評価に関する専門誌」(編集部)である『指導と評価』が、3月号から学習評価の全体像を解説する特集を始めたのだ(不定期)。巻頭言で編集委員の鈴木秀幸・教育評価総合研究所代表理事は、学習評価が実務上の困難に直面している原因の一部は「学習評価の基礎知識の不足によると思われる」と指摘。一取材者の偏見ではないことが確認できた。

 折しも中央教育審議会では、「質の高い教師の確保」策が議論されている。世間でも「定額働かせ放題」の教職給与特別法(給特法)を廃止するか否かが注目されているが、特別部会ではむしろ高度専門職にふさわしい処遇の在り方として検討されていた。教職に就いた大学院修了生の奨学金を返還免除の対象にする方針が教員養成部会で固まりつつあることを受けて、盛山正仁文部科学相も実現に前向きな姿勢を示している。

 これも現場の反発を承知で申し上げれば、現在の教職が本当に高度専門職と呼べるかどうか若干の疑問を抱かざるを得ない。もし本気で医師や弁護士などと同等の専門職にしたいのなら、いつまでも自主的な「研究と修養」(教育基本法・教育公務員特例法)に任せていてはいけない。かつて民主党政権下で検討された養成課程の修士レベル化だけでなく、“しょう”さんが体験したような内地留学を本格的に「再開」させるべきだ。かつて学部卒の返還免除はもとより、一部とはいえ無償・有給で大学院に行ける機会があったことも教職の魅力だったことを若い世代は知らないだろう。

 何より学習評価は、そもそも専門職として必要な「基礎知識の不足」状態が放置されている。一刻も早く、全教員の研修体制を確立すべきだ。

 もう一つ放置されていることがある。特別支援教育だ。「特殊教育」から移行して20年近くになるというのに、いまだに現場は発達障害を含む困難を抱えた児童生徒の指導に自信を持てないでいる。技術もそうだが、そもそも「基礎知識の不足」が放置されたままだからだろう。

 『教育と医学』3・4月号は「発達障害のグレーゾーンの子どもたち――その理解と支援」を特集しており、青木省三・川崎医科大学名誉教授は発達障害が「ある」「なし」で分けられないばかりか「人は皆、グレーゾーン」だと喝破している。筆者も、日ごろのモヤモヤが晴れる思いがした。そうである以上は発達障害の診断を求めがちな現場の傾向は改めるべきだし、ましてや昨今よく報じられているように児童生徒に暴言を浴びせたり暴力を働いたりするのは論外だ。

 いずれにしても教職を本気で高度専門職にしたいのなら、「高度」専門職として育成する道筋と具体的施策を提示しなければならない。研修を充実させるにしても、勤務の余裕が不可欠なのは言うまでもない。しかも多忙化で教材研究ばかりか授業準備さえ十分にできない状態が続けば、教職の魅力をアピールすることなど恥ずかしくてできないはずだ。

 

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2024年2月12日 (月)

改訂諮問の年に③ 「学習評価」の根源的な捉え直しを

 学習評価は、何のためにするのか――。教育の専門家である教師に、そうした問いをするのは愚問だろうか。しかし定期テストの廃止すら世間を騒がせるだけでなく教育現場にも賛否両論を巻き起こす状況を見るにつけ、本当に評価の専門性が浸透しているのか疑わしく思っている。

 今では古い話になるが、現行学習指導要領の改訂を提言した中央教育審議会の2016年12月答申でさえ「(関心・意欲・態度の評価が)挙手の回数やノートの取り方など、性格や行動面の傾向が一時的に表出された場面を捉える評価であるような誤解が払拭し切れていないのではないか」と指摘していた。小中学校で観点別評価が導入されてから指導要領も変わっているのに、である。

 教員の多忙化が深刻化しているが、その端緒は「ゆとり教育批判」に対応した学力向上対策に加えて観点別評価の厳密な「規準・基準」づくりの作業だった印象がある。それだけ緻密な作業をして、本当に子どもを伸ばし授業を改善することにつながっているのか。評価のための評価では、自分たちの首を絞めるだけの徒労でしかない。

 中教審側にも、若干の責任があろう。答申後に発足した教育課程部会の学習評価ワーキンググループ(WG)では、4観点から3観点に整理された評価を巡って「『CCA』や『AAC』といったばらつきのあるものとなった場合には、児童生徒の実態や教師の授業の在り方などそのばらつきの原因を検討し、必要に応じて、児童生徒への支援を行い、児童生徒の学習や教師の指導の改善を図るなど速やかな対応が求められる」とした。自明と言えば自明なことではあるものの、現場に対して厳密な評価規準・基準による評価を更に求めるメッセージになりかねないことに注意が払われていない。

 その点で注目されるのは第12期中教審の正委員で教育課程部会長や義務教育ワーキンググループ(WG)主査などを務める奈須正裕・上智大学教授が、1月にあったオンライン講演会で「小学校でCを出す時はエビデンスが要るが、CでなければBでいい。Bよりも明らかに上なら、Aでいい。厳密にするより、もっと伸びやかに評価を行ってしてほしい」と述べていたことだ。信頼すべきであり培うべきは、そんなアバウトな評価を適切に行える教師の力量である。

 「指導要録に載せるのだから、緻密な評価は当然だ」という反論が当然返ってこよう。しかしGIGA時代だというのに、指導要録の様式例だけに頼った評価に任せたままでいいのか。というより要録自体が、時代の進展に合ったものなのか。そもそも、記載時点での「値踏み」にすぎない。評価された直後から、子どもは変わっていくはずである。評価データをポートフォリオ化して、必要な時に必要な情報を取り出せるようにしておけばよい。

 「内申書や調査書の原簿にもなるのだから、厳密な評価は当然だ」という反論も当然あろう。しかし大学さえ希望者全入時代を迎え、高校は既に定員割れが続出している時代である。1点刻み・一発勝負のテスト自体も問われる必要があるし、ましてや「平素の学習を重視する」という美名の下に在学中の評定平均値をいつまでも絶対視していていいのか。そもそも上級学校は、下の学校から送られた要録を生かして指導を行っているのか。

 むしろ子どもは、学校卒業後も伸びていかなければならない存在である。自己調整能力を付けるのも、生涯にわたってエージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)を発揮しウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)を図るためだろう。

 そのための形成的評価と、授業評価こそ重視されなければならない。もしもその障害になるとするなら、見直されるべきは指導要録の制度や入学者選抜の方だ。次期改訂では、そんな根源的捉え直しも一度は行う必要があろう。

 世間にも、数値による評定信仰がまかり通っている。教育界自身もそうだろう。それを乗り越えなければ、本当の意味で誰一人取り残さない教育は実現しまい。

 

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2024年2月 8日 (木)

改訂諮問の年に② 「資質・能力ファースト」の学校づくり目指せ

 現行学習指導要領は、資質・能力(コンピテンシー)ベースにかじを切ったとされる。次期改訂では、いよいよ学習内容(コンテンツ)に切り込むことが不可避になる。これを機に、教育課程はもとより学校づくりの全般にわたって「資質・能力ファースト」を徹底すべきだ。

 最近の流行の一つに「ルールメイキング(校則検討)」がある。経済産業省の「未来の教室」事業による提唱の影響が大きい。しかし行き過ぎた校則を児童生徒自身で見直すということ自体、古くて新しい課題である。

 よくよく考えれば、校則は何のためにあるのか。伝統的には学校の教育活動の前提となる、校内や教室の秩序維持だろう。「特別権力関係論」が幅を利かせた時代もあった。しかし学校は徹頭徹尾、社会に出るための「資質・能力」を伸ばす場だと捉えるなら非主体的なルールに従うのが当然というヒドゥン(隠された)カリキュラムこそ排除しなければならない。共同体のルールをどう考え、どう対処するかも集団を通した貴重な学びの機会だ。ルールメイキングを特出しして独立した教育活動にすること自体が無駄だし、「〇〇(マルマル)教育」を一つ増やすだけになる。

 資質・能力の育成に関係ないルールなど、それこそ校長の判断でさっさと廃止すればいい。服装だの持ち物だのも、一律のルールを設けるより個々人で判断して自己調整する力を育成することに注力すべきではないか。授業自体が面白ければ、スマホやゲームにうつつを抜かす暇もなくなろう。何より社会で認められている自由を、社会に出る力を培うべき学校で無条件に制限すべきでない。学校の教育活動は学習指導と生徒(生活)指導の両輪で成り立っているとされるが、そうした二元論さえ乗り越える必要があるのではないか。

 理想論に過ぎるだろうか。あるいは「発達段階を考慮すべきだ」とか、「保護者や地域の存在も考えるべきだ」という反論が返ってこよう。しかし発達段階に応じて育成すべきなのが資質・能力だろうし、学校関係者も含めて子どもに社会で生きていく力を培うことこそ公教育の役割ではないか。

 そうなれば当然、資質・能力の育成に関係ない、あるいは重複するような教育活動は大胆に整理・統合する必要がある。その前に、その学校ではどういう資質・能力を育成することを目指すのかを明確にし、そこから効果的な教育活動をマネジメントすべきだ。ましてや学校の働き方改革のために授業時数や行事を精選しようとすることなど、本末転倒と言うべきだろう。

 個々の学校で育成すべき資質・能力も、シンプルにすべきではないか。参考になるのが、国際バカロレア(IB)だ。「IBの学習者像」は①探究する人②知識のある人③考える人④コミュニケーションができる人⑤信念をもつ人⑥心を開く人⑦思いやりのある人⑧挑戦する人⑨バランスのとれた人⑩振り返りができる人――という、とてもシンプルで指導者側にも学習者側にも徹底しやすい。何より、あらゆる教育活動に配分しやすい。教育活動全体で10の学習者像を育てられれば、それでよしという考え方でもある。

 現行指導要領は、コンテンツをそのままにしてコンピテンシーベースに「転換」した。しかし、それがどれだけ現場に意識されているだろうか。資質・能力の三つの柱を教科一律に展開したことも、むしろ「コンピテンシー・オーバーロード」を招く結果となっていないか。

 「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」(天笠=奈須検討会)は、いまだに取りまとめの形らしい形を見せていない。しかし改訂スケジュールを考えると、3月に論点整理を行うことは動かないだろう。その時に出てきたものは、必ずや含意の多いもになるはずだ。その一言一句に注意して、現場としても今後の公教育と学校の在り方を主体的に考える契機とすべきだろう。そのモデルは、既に中教審の学校教育特別部会「義務教育の在り方ワーキンググループ」(奈須WG)中間まとめが示している。

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2024年1月 1日 (月)

改訂諮問の年に① 国内外に対応した「市民性」育成を

 2024年を迎えた。秋にも中央教育審議会に諮問される学習指導要領の改訂に合わせ、抜本的な教育改革議論を進めるべき年である。

 カリキュラム・オーバーロード(教育課程の過積載)に対応してコンテンツ(学習内容)を大幅に整理し、コンピテンシー(資質・能力)中心の指導要領へと本格的に「構造改革」する――。これは、もう次期改訂の既定路線としておこう。問題は、その先にどんな学びの姿を描くかである。

 拙著『学習指導要領「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(22年10月、ジダイ社)でも触れたことだが、エージェンシー(変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力)に基づく「市民性(シチズンシップ)教育」を中心に据えたい。

 総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の「政策パッケージ」(22年6月)を主導した合田哲雄・現文化庁次長は拙著のインタビューで、課題意識の一つに米国連邦議会議事堂の襲撃やロシアのウクライナ侵攻など「民主制の危機」を挙げていた。ハマスの攻撃を契機としたイスラエルによるガザ地区の大量破壊と虐殺、自民党派閥の政治資金パーティー券キックバック問題など、危機はますます進んでいるとみなければなるまい。

 さらに国内で静かに進行しているのは、少子高齢化に伴う労働力不足である。これまで日本はかたくなに移民政策を採ってこなかったが、いずれズルズルと海外人材を求めなければ社会が立ち行かなくなる時期が訪れよう。その時までも政治は、きっと外国人技能実習制度のような建前の制度ばかり打ち出すことだろう。

 これはもう、「教育の力にまつ」(旧教育基本法)ほかない。外国ルーツの児童生徒が急増することを前提に、あるべき社会構築のためにも今から準備すべき最優先課題の一つではないか。

 今でも「家で日本語をあまり話さない子供」が、小学校35人学級に平均1.0人いる。今後もっと増えていくことは必定だ。そうなると、もう「適応」で済ませられる問題ではない。逆に、日本社会全体の多様化・国際化に寄与してもらう人材として期待したい。彼女ら彼らの多くが実際、家庭で果たしている役割である。

 シチズンシップ教育は、移民の増加を背景に欧州で広がった。市民社会への適応を目指す向きもないではなようだが、むしろ社会の多様性と包摂性(ダイバーシティー&インクルージョン)を進める意義を強調したい。新たな教育振興基本計画が「公平、公正」を加えたDE&Iとウェルビーイング(個人的にも社会的にも人々が心身ともに幸福な状態)を打ち出したなら、なおさらである。

 まずは教室から、障害や貧困など困難を抱える児童生徒も含めDE&Iを重視した市民性の育成を目指すことが急務だ。そのための教育課程の基準改訂と、それを実現するための学習基盤(条件整備)との一体的改革が求められる。

 市民性教育が「主権者教育」に名を借りた投票教育に矮小化されてはいけないことは、言うまでもない。何より「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」の育成という改正教基法の理念にも合致しよう。

 

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2023年12月29日 (金)

養成・採用・研修・働き方 真の「一体改革」へ準備急げ

 年末恒例ではあるが、重要な統計が文部科学省から相次いで公表された。いずれも学校現場の深刻な実態を表している。

 22日に公表された公立学校教職員の人事行政状況調査は、何といっても精神疾患による病気休職者が注目点である。これまで0.5%台で推移してきたのに、2021年度は0.6%台、22年度は0.7%台に達した。もちろん氷山の一角で、背後には相当な「予備軍」がいるとみるべきだろう。

 実数で6539人の休職者に、代替教員が手当てされるわけではない。その分、他の教員にしわ寄せが来る。ますます現場は疲弊せざるを得ない。

 その一方で25日に公表された22年度採用試験の実施状況では、小学校の倍率が2.3倍と過去最低を更新した。採用区分を設けている62教委(道県と政令市の合同実施は1教委と数える)のうち1倍台は20教委、2倍台は27教委。既に4分の3が、質の確保に必要だとされる3倍の「危険水域」を下回っていることになる。

 いずれ大量退職が落ち着いて倍率が上がるという見方もある。しかし教職の「ブラック化」が認知されるに従って、優秀な学生はますます離れていくだろう。「魅力アピール」で済む問題ではない。たとえ強い教職志望を持って合格しても、2年以内に精神をすり減らして休職しては何にもならない。

 28日に公表された教委の働き方改革の取り組み状況を見れば、道半ばながら改善した項目は少なくない。しかし、しょせんは19年1月の中央教育審議会答申を受けた「過去」の対策をフォローアップしたにすぎない。現下の中教審「教師の確保特別部会」も緊急対策(8月)と称して既定路線の強化にひた走るばかりで、「次」の改革に向けた議論は遅々として進まない。

 唯一の希望は、「学校教育特別部会」の義務教育ワーキンググループ(WG)が28日に中間まとめを公表したことだ。ここでは他の部会等で行われている専門的検討との重複は避けながらも、「次期学習指導要領の改訂の検討」と一体になった学習基盤の検討・充実を打ち出している。ちなみに文科省の行政文書で27年以降と目される次期改訂を明記したのは、管見の限り初めてだ。

 そうであるなら、来秋にも諮問が見込まれる次期改訂と一体の改革構想を一刻も早く準備しなければならない。まずは義務WGの親部会が早急にまとめを行い、他の部会等の司令塔役を果たすことだ。

 そうでなければ、他の部会等はいつまでもダラダラと既定路線の延長線上で改革論議を続けることになる。典型的なのが、26日の教員養成部会だったろう。「優れた教師人材の確保に向けた奨学金返済支援の在り方」として、まずは教職大学院を優先する方向性が色濃く打ち出された。現実論としては、致し方ない面はあろう。しかし発表を聞いていると、どうにも楽観的かつ教員養成側の利益誘導のような主張が見て取れる。これも各部会等が「部分最適」な議論に終始しているからだろう。

 昔から教員の養成・採用・研修は「一体」で行うことが必要だとされてきた。しかし教員育成指標が導入されても結局は養成、採用、研修の各改革がバラバラに行われているだけではないか。いま必要なのは、指導要領と教室の在り方を含めたトータルな戦略の下で「全体最適」な諸改革を構想することである。

 そんな総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の提起があってから、1年半が過ぎた。遅くとも指導要領の改訂論議が正式に始まるまでに、大まかな道筋だけでも打ち出すことが求められる。それまでの「改革」は、つなぎにしか過ぎない。

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2023年12月 9日 (土)

PISA2022 教育課程と条件整備の更なる強靭化を

 経済協力開発機構(OECD)が日本時間5日19時、2022年に実施した「生徒の学習到達度調査」(PISA2022)の結果を公表した。新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)により1年間延期されたことを受けて、各国の教育制度のレジリエンス(回復力)も問われた。

 本社もかねて指摘してきたように、国際順位の上下を論じても決定的な意味はない。とりわけ前回18年調査で3分野とも1位を独占した中国(北京・上海・江蘇・浙江)が、ゼロコロナ政策で休校が長引いたため不参加となっている。ただし日本が3分野とも1位グループ(得点に統計的有意差なし)となっただけでなく、4カ国しかない「レジリエントな国」の一つに挙げられた意義は強調してもし過ぎることはない。

 とりわけ読解力は504点にまで下落した前回から516点へと有意に上昇した。これにはPISA自体が15年からコンピューター使用型テスト(CBT)に移行し、読解力が中心分野となった18年調査で本格的なデジタル対応の出題がなされていたことも影響していよう。コロナ禍でGIGAスクール構想が一気に実現したのは、文字通りけがの功名だ。

 国内的には意外だが、休校措置が他国より短かったというのも無視できない。授業再開後の対応も含め、ひとえに教育現場の努力に負うものだ。科学的根拠に基づかない安倍晋三首相(当時、故人)の全国一斉休校要請がなかったら、もっと好成績を上げていた可能性すらある。

 ところでOECDのアンドレアス・シュライヒャー教育スキル局長の事前記者説明会を聞いていて、気になる指摘があった。近年のフィンランドの低迷について問われ、慎重な分析が必要だと断りながらも▽所得や民族など母集団の急速な多様性の高まりに対応できなかった▽変革や改革のペースが早すぎ、教員が追い付けなかった――との見方を示したのだ。これらは、日本にとっても教訓となろう。

 OECDによると、パンデミック以前から加盟国の平均得点は低下傾向にあった。もしかすると欧州を中心に、移民の増加が影響したのかもしれない。これに対して相対的に生徒集団の同質性を維持できた日本は、上昇の条件に恵まれていたと言えなくもない。

 ただし各方面で人材不足に悩む日本も早晩、外国人の受け入れを拡大しなければ社会が持たなくなろう。たとえ建前として移民政策を取らなくても、既に外国ルーツの児童生徒がクラスにいても珍しくない状況にある。

 何はともあれ今回の結果に、文部科学省は胸をなで下ろしている。少なくとも学習指導要領の次期改訂にブレーキをかけるような要素はないからだ。

 今回の結果を詳細に分析した上で、教育課程の基準である指導要領とその実現のための条件整備を更に強靭(きょうじん)化しなければならない。少なくとも現行指導要領が理不尽な批判にさらされることのない今のうちに、次期改訂に向けた冷静な議論を進めるべきである。

 

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2023年11月 8日 (水)

学術会議報告 高大「教育接続」論議を急げ

 日本学術会議の心理学・教育学委員会高大接続を考える分科会が9月、「日本における高大接続の課題―『セグメント化』している現状を踏まえて―」と題する報告書をまとめた。高大接続の2側面のうち、入試接続よりも教育接続の重要性を打ち出した意義は強調してもし過ぎることはない。

 とはいえ20ページにも満たない本文は、まさに「視点」を整理した程度にとどまっている。関連するディシプリン(学問分野)が多岐にわたるとはいえ、付録で関連論考を載せただけでは隔靴掻痒(そうよう)の感が否めない。

 本社は拙著『学習指導要領「次期改訂」をどうする―検証 教育課程改革―』(ジダイ社)の中で、文部科学省が学術会議に審議依頼を行うことを提案した。裏を返せば、学術会議の側から積極的な提言をすることは大歓迎だ。

 当たり前だが、文科省の側から審議依頼が行われる可能性は限りなくゼロに近い。拙著の刊行から1年が過ぎ、既に次期改訂の「編集方針」論議は水面下で半ばに差し掛かりつつある。中央教育審議会への改訂諮問も、ちょうど1年後とみられる。その時までにはコンテンツ(学習内容)やコンピテンシー(資質・能力)の整理方針も、内部では固まっていよう。

 そんな時に「各界の協力を得つつ広く議論を喚起する」などと悠長なことを言っている場合ではない。高校に限っても2028年告示となれば、35年以降の大学入学者選抜をも縛ることになる。この1、2年の議論が、10年先の高大接続を決することになるのだ。

 たとえ生煮えでもいいから教科とディシプリンの関係について、少なくとも高校関係者と議論を始めるべきである。それが来るべき中教審での審議にも影響を与えることになろう。

 実は拙著の最後に連ねた稚拙な提言には、過去の学術会議提言から学んだことも多い。「市民性教育」に軸足を置くべきことを置くよう提言したのも、大学教育の分野別質保証で参照基準の構成項目の一つに「市民性の涵養(かんよう)をめぐる専門教育と教養教育の関わり」が掲げられていたことに触発されてのことだった。

 カリキュラム・オーバーロード(教育内容の過積載)問題も関係者のキャンペーンが奏功してか、学校の働き方改革と相まって必要性に理解が広まりつつある。意味のない「ゆとり教育批判」を再燃させないためにも、学術に裏付けられた骨太のカリキュラム原理を示すことが急務だ。

 事は初等中等教育、ないしは高大接続の課題にとどまらない。高等教育機関の研究力、さらには日本の将来を左右する大問題だ。今こそ「行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」(日本学術会議法)目的を実現すべき時である。

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2023年9月30日 (土)

「無理」を可能にする定数改善の展望を

 秋田喜代美・学習院大学教授は28日に開催された中央教育審議会の教員養成部会で、部会長としてではなく「無理なのは分かっているが」「個人的には不可能だと思いつつも」と断りながら、産休・育休代替教員やスクールカウンセラー(SC)・スクールソーシャルワーカー(SSW)の計画的・安定的雇用が必要だとの考えを示した。

 これを「無理」「不可能」に終わらせてはならない。に主張した通り、まさに学習指導要領の次期改訂と一体になった本格的な教職員定数改善の中で検討すべき課題だ。

 9月発売の『月刊教職研修』(教育開発研究所)10月号には、教員一人当たり持ちコマ数に着目した改革を訴える浜田博文・筑波大学教授の特別寄稿が載っていた。これも中教審などの会合で、委員からたびたび指摘されている論点である。しかも「働き方改革」のための削減にとどまらず、教材研究の時間を含めるよう求めている点が重要だ。

 次期改訂では、真の意味でコンテンツ(学習内容)ベースから脱却したコンピテンシー(資質・能力)ベースへの転換が待たれよう。本社としては、指導要領の本体をコンピテンシー規定に絞ってコンテンツは解説等に回すといった大胆な見直しが必要だと思っている。そうなれば、コンピテンシーを育てるための授業研究が決定的に不可欠になる。第2期GIGAスクール構想に基づく情報通信技術(ICT)の活用も、そうした中でこそ保障されよう。

 これまで産育休代替は主に、教員採用試験で不採用になった「教職浪人」によって担われてきた。だからこそ志望者減が「教員不足」の主要因だと文部科学省は説明してきたのだが、考えてみれば臨時任用教員も含め質保証のない人材に正規教員と同等の教育活動を負わせてきたこと自体が問題ではないか。

 29日には東京都の2024年度教員採用試験で、小学校の受験倍率(大学3年生の前倒し選考は含まない)が1.1倍にまで低下したことが発表された。もはや競争試験で質保証をすることはできず、ましてや教職浪人に期待するのは論外だ。そんな時に、いくら教職の魅力を訴えても効果はない。そもそも現在の学校がブラック職場だと認めることが、すべての改革の出発点だろう。

 大量退職・大量採用で若年層が増えている時だからこそ定数に参入して正規教員を充て、需給に余裕が出たら優秀教員育成の研修要員に回せば決して税金の無駄遣いにはならない。そうしてこそ産育休のみならず、教職全体が魅力あるものとなる。

 先の社説で教員就職者に対する奨学金返還免除を復活させる必要性を強調したのも、まさにその点にあった。これからは社会人出身者も含めて優秀な人材を養成段階から引き付け、育成して確実に採用する流れが不可欠だ。その意味で教育学部・教職大学院の「シン・師範学校」化が検討されてよい。私学への人材供給としても期待されよう。

 非常勤のSCやSSWも本来、高収入な本業との掛け持ちが想定されていたはずだ。これを実態に合わせて、必置の専門職として定数化する必要が今やある。そうでなければ、いじめ・不登校をはじめ生徒指導上の諸問題も抜本的改善は見込めまい。

 未熟な教員でも検定教科書を使えば、全国的に一定水準の授業ができる。「研究と修養」によって、生涯をかけて優秀な教員を目指し続けてくれればいい――。そんな牧歌的な姿は指導面でも体制面でも、すっかり過去のものになっている。VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代に合って持続的な日本社会のために本気で児童生徒の資質・能力を伸ばすためにも、教室の多様性を前提とした新しい発想で定数の算定基礎を根底から見直すべき時だ。

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2023年9月 3日 (日)

2024年度概算要求 本格的定数改善の足掛かりに

 文部科学省は2024年度概算要求で、公立義務教育諸学校の教職員定数について「純増」を要求した。実現の可否にかかわらず、来るべき本格的な定数改善に向けた足掛かりとして今後の戦略と戦術を練るべきだ。

 定数を巡っては小学校の全学年35人学級化などに向けた改善計画が進行中で、24年度は第5学年への措置を中心に3610人を計上した。これに加えて22年度から開始した高学年で教科担任制を行うための計画完成を1年前倒しして、2年分の1900人を計上。中学校生徒指導など教育課題対応の加配(400人)を合わせると、改善数は5910人に及ぶ。これに23年度からの定年引上げに伴う特例定員(4857人)を加えれば、1万767人となる。少子化に伴う自然減(7776人)を差し引いても、2991人もの大幅な改善要求だ。

 どこまで特例定員を活用するかの攻防にもなろうが、もし純増が実現すれば民主党政権の11年度予算以来13年ぶりとなる。当時は300人にすぎなかったし、小学校第2学年以降の本格的35人学級化も結局は自公政権に持ち越される限界があった。

 強気の要求の背景にあるのは、教員の働き方改革のための持ちコマ数軽減と自民「令和の教育人材確保に関する特命委員会」(委員長=萩生田光一政調会長)の提言「令和の教育人材確保実現プラン」に影響を受けた「骨太方針2023」の記述だ。

 ただ、24年度から3年間の「集中改革期間」で改革を終わりにしてはならない。概算要求では定数改善以外にも支援スタッフの充実経費が盛り込まれているが、これらはあくまで単年度措置であり負担「軽減」策でしかない。待たれるのは中学校や交付税措置の高校も含めた抜本的な定数改善であり、それには学習指導要領の改訂も含めた学校教育制度との一体改革が不可欠になる。

 それまでは中学校の35人学級化も含め、可能な限り改善を推し進めるしかない。しかし現段階でどこまで足掛かりを付けられるかが、決定的に重要になろう。

 にも少し触れたが、もう現場の努力による「働き方改革」は損切りすべきではないか。その上で、改めて「定数が増やせないと、子どもの資質・能力もこれ以上の質的伸長は図れない。VUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)の時代に、それでもいいんですか」と迫るべきだ。

 もちろん教員の資質能力向上策は別途、講じなければならない。まずは予算折衝で、教員就職者に対する奨学金返還免除を復活させることが第一だ。

 今回の概算要求に限界があることは、致し方ない。それでも、どこまで「取れる」かが今後の行く末を方向付ける重大な局面にあるとは言えるだろう。

 

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2023年8月29日 (火)

最初から限界のあった教師確保「緊急提言」

 中央教育審議会初等中等教育分科会「質の高い教師の確保特別部会」が28日、「教師を取り巻く環境整備について緊急的に取り組むべき施策(提言)~教師の専門性の向上と持続可能な教育環境の構築を目指して~」を公表した。報道各社も比較的大きく取り上げたから、「危機的状況にある」ことをアピールできただけでも出す意味はあったのかもしれない。

 しかし中身はというと、学校現場の困難を解消するものには程遠い。そもそも、この時期に出す提言に期待するのも無理というものだ。

 特別部会は6月の初会合で緊急提言を出すことで合意し、7月の第2回会合で論点の項目案に基づいて議論。案文が示されたのは28日の第3回会合が初めてで、貞広斎子部会長(千葉大学教授)と文部科学省事務局が本文を読み上げた開始後15分で承認。永岡桂子文部科学相に手渡した。

 もちろん事前におおむね了承を得ていたのだろうが、とにかく公表を急いだ様子がうかがえる。明らかに、来年度概算要求に間に合わせるためだ。しかし、それ自体が「緊急」提言の限界でもある。

 緊急提言は総論部分と三つの柱による各論部分から成るが、各論は▽「1.学校・教師が担う業務の適正化の一層の推進」と「2.学校における働き方改革の実効性の向上等」▽「3.持続可能な勤務環境整備等の支援の充実」――の前後半に分けられよう。前半は更なる働き方改革を求めるもので、後半は概算要求に向けた提言部分である。

 更なる改革を掲げなければならなかったのも、他ならぬ概算要求のためだ。「今後も一層の努力を続けますから、概算を認めてください」という態度表明のためである。

 その概算も現時点での文科省の判断、もっと言えば与党の意向を反映させたものにすぎないものになることは必定だ。中教審としては、まだ教員定数の在り方など本格的な議論が行われていない。そもそも今や同部会だけで済むフェーズではなく、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実に向けた学校教育の在り方に関する特別部会」をはじめ各部会・ワーキンググループ(WG)等と連動させた議論が必要になっている。学習指導要領の次期改訂も視野に入っているから、それだけのスパンで学校教育制度の在り方そのものまで再検討しなければならない大問題である。

 そんな限界を差し引くと、後に残るのは「社会全体が一丸となって」だの「できることを直ちに取り組む」だのという空虚な意気込みだけだ。手渡し後の議論で「社会総がかり」という言葉を使った委員もいる。

 どうも8月というと、先の戦争のことを連想してしまう。要するに現段階での「改革」は、精神論から一歩も抜け出せていない。先の委員は映画館で動画広告を打った自治体があることを紹介していたが、戦意高揚の臨時ニュースじゃあるまいに……と思ってしまった。

 そもそも2022年度教員勤務実態調査で、ある意味の答えは出ている。19年1月の中教審答申に沿って「改革」を進めてきたにもかかわらず、抜本的な多忙化解消には至らなかった。現場が努力しても解消の道筋が付けられなかった、という客観的事実こそ重く受け止めるべきだ。「努力が足りなかった。いっそう奮闘せよ」では、兵たんも考慮せず最前線に泥沼の闘いを求めるのに等しい。好事例の横展開を勧めている暇があったら、早く部会横断の本格的な議論と、国としての戦略構築を急ぐべきである。 

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