コラム

2019年7月17日 (水)

【池上鐘音】アベノストーリー

▼安倍首相が参院選の応援演説で何度も「民主党の枝野さん」と言い間違えている。意図的な支持者向けのネタなのだろうが、それは単なる皮肉や「一種の選挙妨害」(枝野幸男・立憲民主党代表)にとどまるものではないように思える▼首相の放言といえば「悪夢の民主党政権」もある。おそらく、それと同根なのだろう。本来なら第1次政権の政策を続けていれば「美しい日本」は再生できたはずなのに、自ら政権を投げ出してしまった。今こそ時間を取り戻さなければならない、と▼だから成果を誇る数値の比較も、民主党政権の前後でしかない。今やデフレから脱却して好循環が始まっている。ゆくゆくは末端まで「アベノミクスの暖かい風」が届くだろう。後は改憲だけだ――▼首相周辺は、同じストーリーを共有できるお友達や官邸官僚ばかりで固められている。そうした人たちによって都合の良いデータが集められ、ストーリーが補強される。出来上がったストーリーを、首相自身が本気で信じているのかもしれない▼小子自身「アベデュケーション」という言葉すら忘れていたが、教育政策に関していえば第2次政権後のスタートダッシュで「教育再生」のストーリーも既に完成しているのだろう。道徳教育は正常化された。ダメ教委の制度も改められた。学力も世界トップレベルに戻った。後は「真に必要な子どもたち」に高等教育の無償化をすれば終わりだ、という筋書きだ。それ以外のストーリーを描いたり修正したりするスタッフは周辺にいないから、耳にも入ってこない▼実は第1次政権の時から、首相は反日教組・反戦後民主主義教育以外の教育施策に関心がないのではないかといぶかっていた。例えば教員免許更新制の導入趣旨が換骨奪胎されても、当時の首相はおそらく文部科学省が起草した通りに原稿を読んでいた。一度ストーリーが完成したら後はそれを繰り返し朗読して聞かせればよく、対話の必要などもない▼首相が参院選の焦点として「政治の安定」を強調するのも、完成されたストーリーのゆえだろう。しかし、そのストーリーは本当にリアリティーがあるのか。読者である国民のリテラシーが問われる。少なくとも教育政策に関しては破綻しているということは、過去の社説で示してきたところだ。

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2019年7月 9日 (火)

【内側追抜】消費増税

 今後10年は上げる必要がないのではないか。もっとも、あたくしの総裁任期は2021年9月ですから、その後は知ったことじゃありません。経済がどうなろうと、それまでに改憲できれば日本人は誇りを持って生きていけるでしょ?

   ――某首相

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2019年6月 3日 (月)

【池上鐘音】2021年度!?

▼大学入学共通テスト実施大綱の記事を書いていて、ようやく気付いた。5月29日の第14回「大学入学共通テスト」検討・準備グループ会合に示された案では、本文に「令和3年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト(以下『令和3年度大学入学共通テスト』という。)」とあることだ。問題はカッコ書きの方である▼元号で表記しているから気付きにくいが、令和3年は西暦で2021年度になる。しかし今まで共通テストは「平成32(2020)年度から」だと、さんざん言ってきたではないか▼現行の大学入試センター試験は、大学入試=入学年度で表記する。大学入試センターと各大学が共同で行う共通試験なのだから当然だ▼しかし共通テストは「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」と呼んでいた時から、実際に実施される年度で表記してきた。だから20年度センター試験の後継テストが20年度共通テストという、奇妙なことになる。そのため「21年1月からセンター試験に代わって実施される共通テスト」という表現をひねり出して記事を書かざるを得なかった▼正式名称の「令和3年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト」なら、21年度入試に使う20年度共通テストだとも言い張れる。しかし略称で21年度共通テストと認めたら、大げさに言えば方針転換ではないか▼こんなことになったのも、2020というマジックナンバーめいた数字のせいだ。12年末に政権を奪還した第2次安倍政権は東京五輪・パラリンピック招致を契機に、この年度をあらゆる教育改革の「ターゲットイヤー」に据える。学習指導要領の改訂も、小学校の全面実施をオリパラに合わせた英語の教科化という名目で20年度からに早めた▼高大接続改革をめぐっては民間の英語資格・検定試験活用をはじめ、いまだに拙速という批判も根強い。それも「20年度」という数字に、無理やり合わせたためだと言っても過言ではなかろう▼アベちゃんとそのお友達にとって2020という数字がいったい何を意味するのか、よく分からない。ただ、首相はいまだに20年度改憲の方針を捨てていないらしい。やはり何かあるに違いない、と勘繰りたくもなる▼もちろん今回の実施大綱(案)は、あくまで案である。正式通知ではどのような表現になるのか、密かに注目している。

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2019年5月 1日 (水)

【池上鐘音】新元号の呪縛

▼田中秀征・元経済企画庁長官へのインタビュー集『平成史への証言―政治はなぜ劣化したか』(朝日新聞出版)を読んで、はっとさせられた。「二、三百年に一度の世界的変動」に際しながら、選挙制度改革にかまけて「冷戦の終わりに何をすべきかという認識が著しく欠けていた」「さらに深刻なのは、それから三〇年が経ってなお、日本の針路について、多くの国民が合意するような政治の方向性が明確になっていない」 という指摘だ▼田中氏は民主党政権を評して、反自民勢力の「受け皿政党」という戦略が一番の問題だったと喝破する。一方、自社さ政権で当時の社会党が方針転換したのと同様に自民党も「憲法尊重に転換するというようなことを明確に打ち出せればよかったと悔やまれてならない」と振り返っている▼もちろん、それは宮澤喜一・元首相の側近として「保守本流」を自任した田中氏の、保守二大政党を志向する立場からの回顧である。さらに言えば、自民党政綱に「現行憲法の自主的改正」を入れることを主導した傍流の旧日本民主党系とは対極にある▼きょう改元があった。前回に比べて生前退位というお祝いムードの中、詳細な制定過程についても報道で明らかにされたことが大きな特徴だろう。そこから浮かび上がったのは、政令で定められる元号には首相の意向が強く働く余地があるということだ。裏を返せば徳仁新天皇の在位中、安倍晋三首相の“好み”に呪縛され続けることになる▼元号が改まって国民にも明るい新時代を期待する声が高まっているようだが、田中氏の言う「宿題」は残されたままだ。「官僚が『国民主権』というものをいまだに理解していない」とも指摘しているが、国民自身も十分に理解していないとしたら事態はもっと深刻かもしれない▼退位の日まで憲法に基づく象徴天皇の在り方を徹底して追求した昭仁上皇とは対照的に、 安倍首相は岸信介氏の孫として改憲にひた走っている。第1次政権の時に比べれば表向き謙虚な姿勢を取ってはいるが、国会で野党を冷笑するような答弁も端々にみられる。有力な元号候補として十七条憲法を典拠とする「和貴」が一時浮上したというが、 令和が「冷和」にならないことを祈るばかりだ。

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2019年4月28日 (日)

【池上鐘音】アートの共犯者

▼連休初日の27日、東京・上野では『クリムト展』や『国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅』展でさえ待ち時間なしで入れたのに、西新宿では16時半の段階で100人以上がたった1枚の絵を見るために20分待ちの行列を作っていた。都が第一本庁舎2階で開催した『バンクシー作品らしきネズミの絵』だ▼同絵をめぐっては都が本物かどうかバンクシーに連絡を取ったものの、反応がないという。それでも公開に踏み切った都の判断には賛否両論あるようだが、真贋(がん)は関係ないと本社は考える▼所有者や管理者に断りもなくストリートにスプレーやマーカーなどを使って表現されるグラフィティは多くの場合、犯罪行為だ。一種の暴力とさえ言える。しかしその犯罪的・暴力的行為が、時に市民や所有者にさえ歓迎される。そんなアートの力を如実に示したのがバンクシーだ▼バンクシーと言えば昨年10月のオークションでシュレッダーを内蔵した『愛はごみ箱の中に』で大いに話題となったが、イスラエル西岸地区の分離壁に描いたシリーズでも知られる。小さな暴力が大きな暴力を告発する、アートの真骨頂と言えるだろう▼芸術は鑑賞されてはじめて成立する。とりわけ現代アートには、鑑賞者の積極的な関与を促す作品も多い。そうであるなら違法作品を保存した段階で都はアートの共犯者となったのだし、公開した段階でアートの主宰者に昇格したと言えるのではないか▼もちろん行列に並び、あまつさえSNSに写真をアップして嬉々としている人々も共犯者だ。文章で表現している本社も例外ではない。「本物だったらいいね」などとほざいている日本人は、チコちゃんに叱られるよりバンクシーに冷笑されるかもしれない。

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2018年12月24日 (月)

【池上鐘音】明治と平成

▼フリーに休みはない。平成最後の天皇誕生日も、原稿を書いていた。19日に文部科学省が開催した、明治150年記念の教育シンポだ。政権への忖度(そんたく)がはびこる中、やっと年内に間に合わせたかのように設定された割に中身はまともだった▼教育史で明治といえば、真っ先に思い浮かぶのは元年ではなく5年(1872)の学制発布だろう。しかし、それに先立つ明治2年に京都では町衆が竈(かまど)金を出して64校もの小学校を日本で初めて創設した――パネリストとして登壇した門川大作市長のそんな話を、毎度のことと思って聞き流していた▼あらかた書き上げ、疲れた頭をクールダウンさせようと読みかけの『仏教抹殺』(鵜飼秀徳著、文春新書)を開いた。明治150年は、廃仏毀釈(きしゃく)150年でもある。浄土真宗の僧侶でもあるジャーナリストが各地をルポした最終章は奈良、京都だ▼全国各地を取材していると、寺と隣接する小学校が多いのに気付く。沿革に寺の境内で創立されたことを記す学校も珍しくない。しかし同書によると京都でスピード整備ができたのは、廃仏毀釈で廃寺となった跡地に伽藍(がらん)を転用して校舎を新設したからだ▼「神道そのもののシンボルとなった天皇家もまた、神仏分離政策に翻弄(ほんろう)された存在だった」(同書)こともまた、維新の側面である。いま我々が信じている日本の「伝統」も、わずか150年ほど前に創られたものが少なくない。学校教育も、そんな危うさの上に建てられている。

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2018年10月 6日 (土)

【池上鐘音】大臣の資質

▼柴山昌彦文部科学相が5日の閣議後会見で、教育勅語の現代風アレンジを「検討に値する」とした2日の就任会見での発言を撤回しない考えを明らかにした。文科省として活用を促したものではなく、個人や団体レベルで検討されていることに賛意を示したのだという▼柴山文科相は「あくまでも記者の質問に答えたもの」だと弁明し、「会見録を見てほしい」と繰り返したが、思い違いも甚だしい。就任会見は文部科学行政の長としての姿勢を、記者が読者・視聴者=国民の代表として問うものだ。しかも個人的見解などと注釈を付けることもしなかったから、それが教育課程行政に臨む新大臣の姿勢だと、会見録を素直に読めばそう受け止めざるを得ない▼こうした類の話は、支持者を前にしたスピーチではよくあることだ。「検討」している団体の前なら、なおさらだろう。しかし、公の会見で発言するのとは訳が違う。かの中山成彬氏ですら、文科相時代には外での大放言と会見での慎重な発言を使い分けていた。柴山文科相は外務政務官や総務副大臣を歴任しているが、いったい何を勉強してきたのか▼当人は悪気がなかったのかもしれないが、こうした曖昧な姿勢が忖度(そんたく)されて結果的に行政がゆがめられる恐れがあることは、先の社説で指摘した。それが分からないようであれば、大臣としての資質を疑わざるを得ない。いわんや文部科学相においてをや、である。

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2018年8月30日 (木)

【池上鐘音】もはや竹やりではない

▼劇作家、鴻上尚史氏の『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)のことは新聞広告で気になっていたが、手に取るまでには至らなかった。その元兵士、佐々木友次さんが同郷だったことも、仕事を兼ねて帰省していた実家で8月15日の北海道新聞朝刊の連載「戦いと死」第1回「7回出撃 7回帰還」(1面見出し)を読んで初めて知った▼母に聞いてみると、佐々木さんの話は父から聞いていたという。同じ農業関係の仕事をしていたのだから当然だ。そういえば以前、特攻関係の本を所望したのはそういうことだったのかと今さらながら気が付いた。もっと突っ込んで聞いておけばよかったと悔やんでも、父と佐々木さんはくしくも相次いで鬼籍に入っている▼仕事までに慌てて同書を読み、帰京後にはすぐ『特攻隊振武寮』(大貫健一郎・渡辺孝共著、朝日文庫)を買い求めた。読んで陰鬱(いんうつ)になったのは、決して過去の悲惨さからだけではない。当時の軍部の体質が、現在の政官界と変わっていないように思えたからだ▼揚力のある飛行機で急降下するより、高度から爆弾を落とした方が貫通力は増す。物理の「見方・考え方」を身に付けていれば当然分かることだ。しかし非科学的で兵器も人命も無駄にする作戦を、軍部は継続した。国のため、の名の下に▼多くの仕事が人工知能(AI)に取って代わられ、グローバル化も進む人生100年時代を生きる子どもたちには、三つの柱で資質・能力の育成を目指す新学習指導要領のような学習が不可欠だ――そこは認めよう。経済協力開発機構(OECD)も、全人的教育で成果を上げてきた日本の教育政策を高く評価した。しかし同時にその持続可能性に危機感を示し、確実な実施と支援を確保するための戦略を立てるよう提言していることを見落としてはならない▼限りある資源をどこに投入するのが効果的かを考えるのが戦略のはずだ。しかし日本が高い教育成果を上げてこられたのは、教育に情熱を傾けてきた教員の努力に多くを負ってきたからだろう。たとえ国に戦略がなくても▼しかし今や小学校の3割、中学校の6割が過労死ラインに置かれ、教員の努力にも限界が来ている。多少の「業務仕分け」で解消できる話ではないだろうし、残業時間の上限規制をしたからといって劇的に改善するとは到底思えない▼来年度概算要求が31日に締め切られる。「死ぬ気で頑張る」と言ってきた文部科学省は、新指導要領を学校現場が実施するに十分な条件整備を盛り込めるだろうか。結果的に教員の努力に依存するままでは、戦前の戦略なき軍部と何ら変わらない▼条件整備の不十分さを、教育界でもよく「竹やりで戦えと言うのか」と例えることがある。筆者も好んで使ってきた。しかし、それは銃後の発想だ。むしろ特攻に例えるべきではないか、と思い直している。最初から「子どもたちのために」なのだから、余計にたちが悪い。

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2018年8月29日 (水)

【内側追抜】キャッチフレーズ

「(ヘタ打ったら官僚の)責任、(すべては改憲のための)実行」

   ――某総裁

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2018年7月 5日 (木)

【内側追抜】某前次官講演

「政権賛美なら後援するんですけどねえ」

   ――某県・市教委

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