コラム

2022年12月 2日 (金)

【池上鐘音】対極の岡本太郎

▼入り口に足を踏み入れようとした瞬間、これは祝祭空間だと直感した。上野の東京都美術館で開催されている『展覧会 岡本太郎』である(28日まで)▼「光る彫刻」の下越しに見ても、黒い御簾の向こうに絵画や彫刻がランダムに置かれているのが分かる。順路などない。自由に鑑賞、いや感じればいい▼実は大阪展(7月23日~10月2日、大阪中之島美術館)も観ているのだが、印象はまったく違う。順路の決まった、いかにも普通の展覧会だった。もちろん作品の力は変わらないのだが、かの地では今も「進歩と調和」と闘わねばならないのだろうか▼それに比べればホームの東京では、ゆったりと爆発できるのだろう。こちらの方が、いかにも岡本太郎らしい▼小子にとっても恩人である。高校時代、絵画というものが理解できず地元の美術館で長時間うんうんと唸るばかりだった。それが大学時代に『今日の芸術』を読んで以来、堂々と「印象派は嫌いだ。あと、横山大観も」と公言できるようになった▼国内外は混迷の度を深くし、価値観も一方向に染められかねない恐れが迫っている気がしてならない。そんな中、今こそ岡本太郎の対極主義が見直されるべきだ▼NHK放送博物館(東京・愛宕)の「展覧会 タローマン」(4日まで)にも何とか行くことができた。1970~72年「当時」の貴重な品々が集められていて、楽しい。リアルタイムで番組を見ていたというミュージシャンの山口一郎氏(サカナクション)が集めたコレクションに負うところも大きいらしい▼しかし、はて。調べると、果たして山口氏は80年生まれらしい。何だそれは。

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2022年10月 1日 (土)

【池上鐘音】ヤマトの沖縄

▼時計代わりとも言われるNHK連続テレビ小説、いわゆる朝ドラは定時の視聴習慣を持つ人に支えられているのが実態だろう。よく視聴率の高低を作品の評価と結び付けて語られるが、どの作品も週間ランキングのトップクラスを維持している▼朝ドラのファンには、視聴しないという選択肢はない。しかし忙しい家事や出掛ける準備の合間に見ている派と、質の高いドラマを毎日じっくり味わいたい派の二極分化が近年激しくなっているように思える▼東京制作の2022年度前期『ちむどんどん』が終了した。沖縄返還50周年に、しかも比較的注目されることの少ない山原(やんばる)地区が舞台になるというので個人的にも楽しみにしていた。果たして子役たちが登場する最初の2週は、戦後の貧困と家族愛、さとうきび畑の上空を切り裂く米軍機の音、親たちの戦争体験、とりわけ父親が中国大陸での加害経験を抱えているであろうことなど、期待は高まるばかりだった▼端々の違和感が決定的となったのは、その父親がほとんど唐突に死んでしまってからだ。あまりにも安直だなと思っていたら、特にヒロインに替わってからは素人目にも整合性の十分取れていない展開や不自然なせりふが目立つようになってきた▼短文投稿サイト「ツイッター」での酷評が大きな話題となったのも、今作の特徴だ。それも二極分化したファンのうち、後者からの集中砲火だったろう。しかし前者にとっては、整合性など問題にならない。途中飛ばしても何となくいい話が並んでいれば、十分成立する。それが朝ドラの必要条件なのかもしれない▼たとえ節目の年であっても、基地問題ひとつ解決の見通しは立っていない。「沖縄に寄り添う」と言いながら実際には冷淡な態度しか取らないのが、薩摩支配から変わらないヤマト(琉球=沖縄に対する日本)の基本的姿勢であったろう。当作にも、苦難の歴史や豊かな独自文化を単なる素材としか思っていないかのような扱いに徹頭徹尾変わらないヤマト目線を感じた▼最終週に大工哲弘が再登場したのは驚いたが、しょせんは「有名な沖縄民謡歌手」としてキャスティングしたのだろう。制作スタッフには本島と八重山で島唄が全然違うことも、分からなかったに違いない。どうせ起用するなら、歌詞を1字だけ変えた『沖縄を返せ』ぐらい歌わせるべきだった。今のNHKに、そんな気概も度胸もあるとは思えないが。

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2022年9月14日 (水)

【池上鐘音】「さかなのこ」の特異な多様性

▼『あまちゃん』以来、のん(本名・能年玲奈)さんのファンである。そのアキが「見つけてこわそう」で共演したさかなクンを演じると聞いては居ても立ってもいられない――と書いている段階で、すでにフィクションと現実が混乱している▼原作の『さかなクンの一魚一会~まいにち夢中な人生!~』(講談社)を読めば、現実のエピソードをうまく生かした映画であることがよく分かる。もっとも冒頭の「男か女かは、どっちでもいい」が示すように、それ以上に多様なメッセージが込められていると受け止めた▼さかなクンのあだ名だった「ミー坊」は現実でもヤンキーと仲良くなれる性格だったようだが、さかなクンが演じる「ギョギョおじさん」は町から姿を消さなければならなかった。社会モデルという言葉が、頭をよぎった▼映画を見た翌日、文部科学省の「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方に関する有識者会議」をオンライン傍聴した。ヒアリングに応じた教委団体や意見募集からは、特性の把握方法や判定基準を示すよう求める意見が相次いだ。ただそれは、有識者会議が当初から議論していた基調と反する▼内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)が6月に正式決定した教育・人材育成の政策パッケージには、小学校35人学級にも平均で特異な才能0.8人、発達障害2.7人、不登校0.4人・不登校傾向4.1人、日本語を家であまり話さない子1.0人と多様性があることが示されている。特異な才能をギフテッドと呼ぶか、学習困難を併せ持つ2E(twice-exceptional)とみるかも正直「どっちでもいい」。いずれにしても、同じ学級の仲間だ▼重複もあろうが「家にある本の冊数が少なく学力の低い傾向」、すなわち家庭の経済格差が学力格差につながっている子どもが10.4人という数値も無視できない。誰一人取り残さないためには、1学級に担任1人という教職員配置の基本は現実に合わなくなっている。働き方改革や新教員研修制度で解決できる話では、もちろんない▼「成績が優秀な子がいればそうでない子もいて、だからいいんじゃないですか」と自分の子どもを信じたお母さんはもとより「ミーぼうしんぶん」を楽しみにしていた先生方の存在には、ほっとさせられた。そうした周囲の大人の信頼や理解が、絶対に必要だ。実際にもさかなクンの同級生だったドランクドラゴン鈴木拓さん演じる鈴木先生は、あわやの学校間暴力に対してヘタレであったが。

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2022年7月 9日 (土)

【池上鐘音】蝶々の因縁

▼NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』を毎週、興味深く視聴している。1995年に放送を開始した新シリーズで、一人ひとりのささやかな営みが連鎖して世界を動かしていく様子を世界中のアーカイブ(記録)映像で描くのだという▼回によっては、これを本当にバタフライ効果と言っていいのかと首をかしげることもある。しかし世の中の動きがすべて連関していて、見聞きしたものが大なり小なり意識ないしは無意識として残っていると考えれば納得できる▼仏教的には、重々無尽の縁起とでも訳せようか。ここで言う縁起は通俗的な験担ぎ・験直しのことではなく、原因(因)があって結果(縁)があるという論理学的な話である。あるいは複雑系と言い換えてもいい▼安倍晋三元首相が参院選の応援演説中、銃撃されて死去した。犯行現場の近鉄大和西大寺駅前は奈良競輪場の無料バスが発着し、犯人が住んだ最寄り駅には定宿がある個人的にもなじみの地だ。小学校も近いことに、戦慄がいや増す▼どんな政治家に対してであろうと、テロは決して許されない。何かと安倍政権を批判し続けてきた本社だが、報道の末端中の末端に携わる者として満腔の怒りを持って糾弾する▼現段階の供述によれば、政治的信条に対する恨みではないそうだ。安倍氏が「特定団体」とつながりがあると思い込んだというが、いかなる団体かは明らかにされていない▼今回の元首相襲撃を五・一五事件になぞらえる向きもあるが、犯人は元自衛官といっても任期3年だけであり青年将校とは比ぶべくもない。むしろ浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢(おとや)に似ていようか▼真相は徐々に明らかになっていくのだろうが、現段階では格差・分断、フェイクニュースの香りがぷんぷんする。因果応報とは口が裂けても言わないが、新自由主義的なアベノミクスを進め国会審議を軽視してきた安倍政権とも無縁ではない▼安倍首相が目指してきたはずの「美しい国」が、バタフライ効果で今のような社会に帰結したとみるのは死者への冒涜(ぼうとく)だろうか。しかし国の借金が1000兆円を超えてもなお、防衛費拡充のための国債発行を安倍氏は主張していた。アベノミクスへの評価や憲法改正の是非を含め、有権者には冷静な投票行動が求められよう。追悼の意と「弔い合戦」は、まったく別の話である。

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【本社より】コラムタイトルの不足を一部修正しました。

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2022年6月27日 (月)

【雪ノ下鐘音】梅雨と鎌倉殿

▼梅雨時になると、必ずといっていいほど大学1年目を思い出す。4月に入った寮長部屋は附属のグラウンドに南面した棟の2階だったから、窓に座ると爽やかな海風が感じられた。一転したのは期替わりの6月、後ろの棟の1階に移ってからだ▼3人部屋に常時数人が出入りして雑魚寝する部屋から、中庭の雑草がみるみる伸びていくのを見ているだけで鬱々としてしまう。おまけに床下には暗渠(きょ)となった小川が流れていて、湿度は寮の中でも最悪だった。飲み残しのワンカップにボウフラが湧いて「だから今年は蚊が多いのか」という先輩の冗談にも、笑うことができなかった▼『幻想の都 鎌倉』(高橋慎一朗、光文社新書)を読んでいて、積年の疑問が氷解した。周囲を歩いて石碑を眺めていても大蔵御所の正確な場所は分からなかったのだが、同書によると西限は西御門川で堀の役割を果たしていたという。地図と照らし合わせると、まさに寮の下を流れていた小川ではないか。つまり寮生は、御所跡にまたがって住んでいたことになる▼警備上の悩みは、西御門地区の住民が近道だといって寮の中を通り抜けていくことだった。しかし同書には明治期、西御門川沿いに旧道があったとする。してみると師範学校の移転前から地元民の既得権だったのか…と馬鹿な想像もしてしまう。4棟あった当時は当然、入り口には門があった。それだけ思考を混乱させる梅雨が早くも明けそうなのは、水不足の心配にもかかわらず喜ばしく思える。

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2022年3月16日 (水)

【池上鐘音】あるエロマンガ家の死に

▼新宿の模索社に行ったのは、恥ずかしながら2020年の春が初めてだった。コロナ禍で書店が閉まる中、久し振りに買えた『情況』にはクラウドファンディングによる山本夜羽音君の漫画『マルクスガール・オルタネイティヴ』が載っていた▼高校新聞局の2年後輩である彼とは頻繁に会っていたわけではない。反天皇制運動で逮捕されたのを知ったのも、会社員時代に地方ネタを探していた日比谷図書館での地元紙だった▼『情況』の同じ号には尊敬する先輩教育ジャーナリスト小林哲夫氏による高校闘争50年シンポジウムの記事が載っていた。そういえば小林氏から仕事の声を掛けてもらったのは、朝日新聞の山上浩二郎記者が亡くなった直後だった▼山上記者の遺作『検証 大学改革』(岩波書店)を読んだ後、ふと思ったのは「生きている者は生きているうちに書くべきことを書かねばならない」ということだった。山本君にも、まだまだ敬虔な破戒クリスチャンらしいエロマンガを描いてほしかった▼コロナ禍には革命的警戒心をもって臨んでいるとはいえ、いつ夕(ゆうべ)には白骨となるやも知れぬアラカンの身である。遅々として進まない自分なりの検証本を早く上梓せねばと、突然の訃報に接して焦るばかりである。

 

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2022年3月12日 (土)

【池上鐘音】駅名変更の違和感

▼JRには「安房鴨川」「越前大野」など、地名に旧国名を付けた駅名が多い。全国で重複を避けるという国鉄時代の名残りだろうし、北海道も同じだが意味合いは少し違う▼よく知られているように、北海道の地名は多くがアイヌ語起源だ。それも札幌がサッポロベツ(乾いた大きな川 )に由来するとみられるように、土地の様子を表す一般名詞の場合がよくある。だから道内に同地名が複数あっても、おかしくはない。トウペツ(沼から来る川)も3カ所あると、小学校の時に習った▼「当別」と言って全国的に有名なのは、トラピスト修道院のある渡島当別だろう。ただし江差線は北海道新幹線の開業に伴って経営分離され道南いさりび鉄道になったから、渡島当別駅もJRではなくなった▼12日のダイヤ改正で札沼線(愛称・学園都市線)に「ロイズタウン」駅が新設されたのに伴い、両隣の「石狩太美」「石狩当別」(いずれも石狩管内当別町)も「太美」「当別」と改称された。特に後者は重複がなくなった機会に、自治体の名称に合わせたというわけだ▼しかし大げさに言えば、これは北海道がアイヌモシリ(人間の静かなる大地)であった記憶の忘却にもつながるのではないか。和人のおごりでもあろう。今さら撤回を求めようもないが、わが古里の故に看過できない。

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2022年2月26日 (土)

【池上鐘音】連赤と新課程

▼1972年の2月、小学校1年生だった小子は「日の丸飛行隊」に感動してスキージャンプの絵ばかり描いていた。だから、連日のあさま山荘中継にほとんど記憶がない。高校では、あの事件に影響を受けたと語る後輩すらいたというのに。そんな自分が連合赤軍と因縁浅からぬ大学に進んだことは、入学後に気付いた▼事件に関しては50周年ということで新聞紙上などでもさまざまに論じられているが、注目すべきは当事者も含めて太平洋戦争時の兵士の心性との類似性を指摘している点だろう。だとすると現在の日本人にとっても決して無縁ではないし、ましてや2人の指導者の特異性に責任を帰してはならない▼オウム真理教の問題がクローズアップされたのは現実の動きを追いかける専門紙記者として脂が乗っていたころだったから、学生時代を冷静に振り返ることができつつあった。あの時の討論や思考法に、自己と集団を追い詰めるような作法が存在していたのではないかと▼ロシアがウクライナに侵攻した。まさに世界史を悲劇で繰り返すような事態が同時代に起こっている。複雑な国際情勢と歴史の上で、日本がどう判断し行動するかの意思決定も迫られる▼いよいよ4月から、高校でも学年進行で新教育課程に移行する。新学習指導要領では「社会に開かれた教育課程」を掲げ、資質・能力の三つの柱に基づく「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング=AL)が求められる。高校の科目再編では、日本史・世界史の区別なく現代的な諸課題に関わる近現代の歴史を考察させる「歴史総合」も必履修化される。成人年齢の引き下げと相まって、現在を進行形で生きる当事者としての主権者教育が急務だ▼2月は入試シーズンでもある。全入時代にあってさえ、この国の教育問題に関する関心といえば大学入試にしかない状況が今も続いている。「団塊の世代」を闘争に追い込んだ背景には、苛烈な受験競争があった。レアケースとはいえ大学入学共通テスト試験会場の前で高校生を死傷事件に駆り立てたのも、東大を頂点とする受験の固定観念だろう▼全共闘が解体を叫んだ大学は今、変わりつつある。そのことを高校関係者、ましてや世間がどれだけ理解しているだろうか。そもそも大学教育の変化や、政府の大学政策が本当に好ましいかどうかの検証も求められよう▼今年は学制150年でもある。予測不能な社会に正解のない問いを自分の頭で考え周囲と納得解を導き出して行動できるようにするのが、新指導要領の狙いだ。明治以来から今に至る近現代の教訓は何か、次代を担う子どもたちに実感を持って考えてもらう教育実践が今こそ必要な時はない。そうでないと私たちは、必ずや同じ間違いを繰り返す。

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2022年2月 1日 (火)

【内側追抜】ナントカマスク

某元首相「ほら、国民のニーズはあるじゃないか。何でもっと早く配布しなかったんだ。というより、2億枚の追加発注をすべきじゃないのか」

某省官僚「…」

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2021年12月29日 (水)

【池上鐘音】「間違える」官邸と大学入試の実務

▼ちょうど千正康裕・千正組代表の『官邸は今日も間違える』(新潮選書)を読み始めた時分に、ニュースが流れてきた。大学入学共通テストの受験生でオミクロン株の濃厚接触者は追試に回るよう求めた文部科学省通知に対して、岸田首相が本試験の別室受験を含めて検討するよう指示したという。末松信介文部科学相は臨時の会見を開き、わずか3日での方針転換を表明。28日付で指示通り再通知された▼官邸主導の流れを作ったのは故橋本龍太郎氏や小泉純一郎氏が首相を務めた時代であり、背景には衆院での小選挙区制導入が背景にある――元厚労官僚である千正氏は同書で、こう指摘する。だから省庁の実務を考慮することなく、増加する無党派層の意向を優先して意思決定がなされるのだと▼すぐ思い起こしたのは、19日にオンラインで開催された座談会「大学入試におけるコロナ対策 令和3年度入試の舞台裏」だ。コロナ禍という未曽有の事態に接し、大学入試センターがかつての所属研究者だった大学教員5人に呼び掛けて2020年6月から4回にわたって情報交換を目的に行われた緊急オンラインフォーラム(非公開)を振り返った▼初の実施となった21年度共通テストは、臨時に第2日程を設ける異例の形態となった。それだけでも過重負担だが、第1日程を受けられなかった受験生は追試として第2日程を受けたため試験監督の緊張感は並大抵ではなかったという▼そもそも実務を担当する大学の教職員は、専門性の高い業務をギリギリの人数で回している。緊急時に試験監督を増員しようにも、近年増加する特任教員には依頼できない。特任以外の教員は高齢化していて、持病を抱える者が少なくないという▼任期中に成果を挙げた特任教員を本務教員に採用して新陳代謝を図るべきだ――というのが、昨今の大学改革が要請するところだ。しかし現実には高齢本務教員のクビをそうそう切れるわけもなく、若手はいつまでも不安定な特任から抜け出せない▼大学設置基準の弾力化と教養部廃止で入試問題を作成する能力のある教員が減っている問題は、かねて指摘されてきた。高大接続改革の必要性を受けて、各大学では研究機能も担うアドミッションセンターなどを設ける動きも広がっている。座談会に集まった研究者の多くも、そうした部署の所属だ▼22年度共通テストは本試験の日程が元に戻ったため、21年度に比べれば負担は少ない。20年度間に得られた教訓も生かされるだろうし、そのために座談会も開かれた。しかし、もともと弱っていた大学の組織的体力が首相指示一つで戻るわけもない。ましてや10兆円の大学ファンドが設けられたところで、ほとんどの大学にとって何も解決しない▼受験生は首相判断に快哉を叫んだろうが、入学後はぜひ大学の実態を自分の目で見つめるといい。事は自らの教育環境に関わる問題である。コロナ禍は、そうした日本中の構造的な問題を浮き彫りにしている。

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